投稿日 : 2025.12.19
谷口英治が語る「クラリネットの栄光と衰退と復活」─そして後継者の育成は【ジャムセッション講座/第37回】
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これから楽器をはじめる初心者、ふたたび楽器を手にした再始動プレイヤー、さらには現役バンドマンまで、「もっと上手に、もっと楽しく」演奏したい皆さんに贈るジャムセッション講座シリーズ。
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今回のゲストは日本を代表するクラリネット奏者・谷口英治さん。ジャズの歴史において、その最初期からクラリネットは強烈な存在感を放ち続ける楽器だが、筆者はジャムセッションの現場でクラリネット奏者に遭遇したことがないし、“謎の楽器”という印象だ。そんな、ものすごく有名だけど謎だらけのクラリネットについて、谷口さんに聞いてみた。
【今回の先生】
谷口英治(たにぐち えいじ)
1968年4月1日、福岡県北九州市生まれ。クラリネット奏者。洗足学園音楽大学講師。早稲田大学在学中より数々のコンテストで最優秀ソリスト賞を受賞し、プロとしての活動を開始。ジャズの新旧スタイルを自在にブレンドした音楽性は多方面から高く評価されており、日本を代表するクラリネット奏者のひとりとして活躍している。これまでに、コンコード・ジャズ・フェスティバルやジャズ・バルティカなど、国内外の著名な音楽祭に多数出演。また、宇崎竜童、ポルノグラフィティ、モーニング娘。などのアルバム制作にも参加している。
【担当記者】
千駄木雄大(せんだぎ ゆうだい)
ライター。32歳。大学時代に軽音楽サークルに所属。基本的なコードとパワーコードしか弾けない。セッションに参加して立派に演奏できるようになるまで、この連載を終えることができないという十字架を背負っている。当サイトで毎年恒例の年末特集「あの人が選ぶ『今年の3作品』」に、もし自分が寄稿するなら何を選ぶかと思ってSpotifyで2025年に一番聴いたアーティストを調べたところ、ブラック・サバスだったので、今後もたぶん、呼ばれない。
クラリネットは一度絶滅した楽器
──今回のゲストは、ジャズ・クラリネット奏者の谷口英治さんです。日本を代表するプレイヤーとして全国を飛び回るほか、バディ・デフランコやスコット・ハミルトンといった海外の大物ミュージシャンとの共演も多数。その一方で、洗足学園音楽大学の講師として後進の育成にも力を注いでいます。クラリネットはジャムセッションの現場ではなかなか遭遇する機会が少ないのですが、「ジャズにおけるクラリネットの役割」とは、どんなものなのでしょうか?
谷口英治(以下、谷口) ジャズの起源のひとつは黒人音楽ですが、軍楽隊で使われていた管楽器や太鼓類などを使って、ブルースを奏でてみようとなったのが、現在のジャズの原点です。その時点で、クラリネットは標準編成に含まれていたんです。
──ジャズの黎明期から、クラリネットはすでに重要な位置にいたわけですね。
谷口 1920年代に入ると、ジャズの中心地は一度シカゴに移ります。そこで白人に広まりさらにニューヨークに移動して「スウィング・ブーム」が巻き起こります。このスウィングというジャンルにおいて、クラリネットはまさに“花形楽器”でした。特に有名なのが、ベニー・グッドマンですね。
──スタンダード・ナンバーの「シング・シング・シング」や、映画『ベニイ・グッドマン物語』でもおなじみの人物です。
谷口 ただし、1940年代後半になると、スウィング熱は急速に冷め、クラリネットは歴史の表舞台から姿を消してしまいます。
──ベニー・グッドマンというスターがいるのに何が起きたんですか?
谷口 そこにはいろんな要素があるので、この話だけで一晩は語れますが(笑)…。ひとつ言えるのは、クラリネットがスウィング時代やトラディショナルなディキシーランドのアイコン的存在になりすぎました。だから、バンドにクラリネットがいると、「ああ、一昔前の音楽だな」と聞こえてしまうようになったのではないでしょうか。
──モダンジャズへの移行のなかで「クラリネットは音色的に違う」と敬遠されるようになったのでしょうか?
谷口 まさにそうです。もちろん、それでも生き残った奏者はいます。例えば、バディ・デフランコはビバップ、モード、フュージョンと、時代の変化に応じて柔軟にスタイルを変えていきました。彼がいなかったならば、「昔はクラリネットって楽器もあったよね」くらいの存在で終わっていたかもしれません。ジャズにおけるクラリネットは、あえて言えば「一度絶滅した楽器」と表現するのが最もふさわしいと思っています。
ジャズ・クラリネットの後継者問題
──ジャズをイメージする楽器ではありますが、やはりベニー・グッドマンやアーティ・ショウなど、スウィングという古典的な時代のミュージシャンを思い浮かべてしまいます。日本ではどうだったのでしょうか?
谷口 もちろん、日本でもその流れは完全に受けています。ただ、日本のジャズは、1945年の終戦と同時に再スタートしていると言えます。戦前にもジャズ・ミュージシャンは存在していましたが、人数が少なかったことや、戦争による中断で辞めてしまった人が多かった。そのため、「日本のジャズの起源」というと、戦後の“一期生”が中心になります。具体的には、北村英治さんなどがその世代ですね。
──96歳になった今でもステージに立ち続ける、日本を代表するクラリネット奏者ですね。
谷口 1930年代の終盤から1945年までの軍事色の強い時代には、ジャズは「敵性音楽」とされて情報が遮断されていました。ところが、1945年になると、進駐軍が「こんな素晴らしい音楽があるぞ」と、ジャズを持ち込んできます。結果として、スウィングやビバップ、さらにはそれ以前のディキシーランドやニューオリンズ・ジャズといったスタイルが、一気に“横並び”で入ってきたんです。
──米国で流行した順番ではなく、一斉に入ってきたということですね。
谷口 そのため、日本人のジャズへの接し方は、「いろいろな種類がある音楽」というところから始まっている。それが、現在の日本のジャズの多様性の基盤になっていると思うんです。今でも海外からミュージシャンやファンが東京に来ると、「一晩のうちに、古いのから新しいのまで全部聴けるミラクルな都市!」と驚かれます。
──言われてみれば、いろんなジャンルの曲を普通にやっていますよね。よほど強いこだわりを持つ人以外は、あまり気にしていないかもしれません。
谷口 今どきビバップを演奏しているからといって誰にも咎められませんし、スウィングをやっていてもまったく問題ない。浅草に行けば、ディキシーを演奏している人たちがいます。それを見て「時代遅れ」なんて言う人もいません。そういう意味では、日本は本当に良い環境だと思います。そして、クラリネットの衰退も、日本では比較的ゆるやかだったんじゃないかと思いますね。
──ん? 衰退しているのですか?
谷口 アメリカでは、1945年を過ぎるとクラリネットはほとんど相手にされなくなってしまいました。しかし、日本では北村英治さんをはじめとする名手たちが戦後に活動をスタートしたことで、1950~60年代まではクラリネットのスタープレイヤーたちが大活躍していたと思います。ただその後、フリージャズ、さらにフュージョンと時代が移っていくなかで、クラリネットの後継者はほとんど育たなかったんです。
北村英治、鈴木章治、藤家虹二の「クラリネット御三家」
──北村英治さん以外のスタープレイヤーとは、具体的にどなたのことを指すのでしょうか?
谷口 北村英治さん、「鈴懸の径」で有名な鈴木章治さん、そして東京藝術大学出身の藤家虹二さん……。この3人は「クラリネット御三家」と呼ばれていました。彼らは常にスターとして活躍していたので、日本ではクラリネットそのものは廃れていなかったんですね。ただし、問題は “次世代” です。後に続く奏者が、ほとんど育っていなかった。そのため、「この三人が引退したらクラリネットは絶滅危惧種になる」と言われていたんです。
──それは、谷口さんも若い頃に演奏されていて感じたことですか?
谷口 まさに私がクラリネットのジャズに関心を持ち始めた頃は、一番過酷な時代だったと思います。それでも、なぜ私がクラリネットを手放さなかったのかというと、ひとつには、当時は今と違って情報が少なかったからではないかと思います。私は福岡の田舎出身なんですが、情報源といえばジャズの雑誌、あるいはテレビやラジオのジャズ番組くらいでした。当時はジャズプレイヤーがメディアにたくさん出演していたんですね。
──ジャズがもっとも一般大衆に浸透していた時代だったのかもしれませんね。
谷口 なかでも北村英治さんをはじめとするクラリネットのスターたちは、一番脂が乗っていて、メディアへの露出も多かったわけです。田舎の少年からすると、「クラリネットを吹いているおじさまたち、なんだかかっこいいな」と思ってしまうわけです。

──そこで、「自分も吹奏楽で演奏してみたいな」となるんですね。
谷口 もし東京で育っていたら、「今どきクラリネットやってる人なんていないよ」とすぐ気づいていたかもしれません。しかし、田舎では情報が少ないから、そこに気づかないんですね。
──福岡県の小倉出身であれば、全然田舎でもないような気もしますが……。
谷口 父は製鉄の労働者。「がんばって働いて少しでも社会的ステイタスを上げてやるんだ」――。おそらく日本全体がそういう時代だったのでしょうね。郊外の田園地帯にマイホームを建て、「子どもには良い教育を」と考えていたんでしょう、クラシックのLPレコードが家で普通に流れているような環境で、私は自然と音楽が好きになっていきました。
──お父様のおかげでさまざまな音楽に巡り会えたのですね。
谷口 家族の中に特別に楽器がうまい人がいたわけではありませんが、家にはピアノもありました。そんな家庭環境だったので、中学校に入ったら「吹奏楽部に入って、楽器をやりたい」と思っていたんです。
クラリネットかサックスか……
──でも、どうしてクラリネットを選ばれたのですか?
谷口 その吹奏楽部では「楽器を個人所有していると優先的にそのパートに入れる」という噂があり、入学を前に小倉の街へ楽器屋さんを見に行ったんですね。実はそのとき、クラリネットにするかサックスにするか悩んでいました。
──同じ管楽器ですが、音色も役割も違うから、究極の選択ですね。
谷口 正直、半分くらいはサックスに心が傾いていました。ところが、ショーウィンドウの値札を見たら、サックスの方が一桁高かったんです。こんなの買わせたら、うちは大変なことになる……。そう思った私はクラリネットを指差して「こっちにするよ」と言ったんです。
──その奥ゆかしさというか、ちょっと控えめな性分こそ、天性のクラリネット奏者というか…。
谷口 そうそう、一歩引くような、哀愁のある感じがクラリネットっぽいですよね(笑)。サックスを選ぶ人というのは、おそらく迷わずサックスを手にできるタイプだと思うんです。まぁ、そんなこんなでスタートしたクラリネット人生ですが、その年の秋にベニー・グッドマンが来日しているんですよ。
──すごいタイミング!
谷口 私がクラリネットを始めた1980年というのは、「オーレックス・ジャズ・フェスティバル」の第1回の年だったんです。その記念すべき回に、ベニー・グッドマンが来日していたんですよ。
──これは当時国内では日本最大規模だったジャズフェスですね。
谷口 当時はまだベニー・グッドマンも70代で元気でしたし、スウィング時代のレジェンドたちも健在だった。そして、私は「クラリネットで、こんなにすごい演奏をする人がいるのか!」と感激してしまいます。そこから、「東京に行って、大学のジャズ研究会に入り、ジャズを本格的にやろう」と思うようになりました。
──そういう思いを持ったクラリネット奏者は、当時たくさんいたのでしょうか?
谷口 いえ、ほとんどいませんでした。むしろ周囲からは「頭おかしいんじゃないの?」って思われていました(笑)。
つながれていくジャズ・クラリネットの系譜
──大学は早稲田ですよね?
谷口 もともと、ビッグバンドをやりたかったので、最初はビッグバンドのサークルに入りました。ただ、ビッグバンドではクラリネットはあまり活躍できないので、「スウィング&ジャズクラブ」という理工学部のサークルに移りました。
──でも、クラリネットの演奏者は少ないんですよね?
谷口 そうなんです。周りの仲間からは変わり者扱いです。しかし、一部のジャズ雑誌の評論家や編集者の方々からはすごく応援してもらえました。「クラリネットでモダンやビバップを演奏するなんて、とても意義があることだから、ぜひがんばって!」と声をかけていただいたんです。

──それほどクラリネット奏者は珍しかったんですね。
谷口 一方で、「古い楽器を持ち出して、大人に気に入られようとしてるんだろ? 君はクラリネットがなぜ絶滅したか、考えたことがあるのかね?」と、真顔で批判する評論家もいました。
──えぇ…。奇をてらっていると受け取られたのでしょうか?
谷口 奇をてらうつもりはなかったのですけどね。ただ「クラリネットがやり残してきたことを、自分がやろう」という野心は持っていました。それは、モダンジャズ、ECM、フリージャズ、フュージョン的なこと……。当時はECMブームだったこともあって、ECM系のバンドにもよく誘ってもらって、コンテストにも出たりしていました。
──大江健三郎の小説『個人的な体験』にも、クラリネット奏者がバンマスのような形で登場しますが、日本でジャズが根付いた後も、クラリネット奏者は増えなかったのでしょうか?
谷口 少なくとも私の目には減っていく一方に見えました。そのうち、「自分がつながないと、本当にこの楽器はジャズの世界から消えてしまう」と強く感じるようになっていました。
──そんなにいなかったんですね。
谷口 今になって振り返ると、70年代後半のアメリカで起こった「スウィング・リバイバル」が日本へ伝わり、私はその真っ只中にあったわけで、けっして突然変異的に登場したジャズクラリネット奏者ということでもなかったのではないかと感じます。私がやらなければ、誰かがやったのではないでしょうか。
──でも、「この先、誰もやらないから自分がやらなければ」という強い使命感があったのですね。
谷口 自分で言うのもなんですが、客観的に見ても、そういう面はあったのではないかと思っています。この間、ChatGPTに「日本のジャズクラリネットの歴史をまとめて」と聞いてみたんですよ。そうしたら、「谷口英治というプレイヤーが登場したことで、後進のクラリネット奏者たちが育成された」と書かれていて……。その時は、もう、美味い酒が飲めました(笑)。
──もう「日本のジャズの教科書」に掲載されるような存在じゃないですか……。
構成・文/千駄木雄大
撮影/山元良仁
ライター千駄木が今回の取材で学んだこと
1. ジャズの創世記からクラリネットは活躍してた
2. でも、目立ちすぎて一時は姿を消してしまう
3. つまり、緩やかに衰退した「一度絶滅した楽器」
4. ひかえめな性格の人はクラリネット向きかも
5. ChatGPTがジャズを語れるようになっている





