投稿日 : 2021.04.29

映画『真夏の夜のジャズ』の登場人物はなぜ あんなにお洒落なのか【ジャズマンのファッション/第13回】

文/川瀬拓郎

連載 ジャズマンのファッション 表紙

©1960-2019 The Bert Stern Trust All Rights Reserved.

近年、ジャズミュージシャンを題材にしたドキュメンタリーや伝記映画が多く公開されているが、ジャズ・ドキュメンタリーの古典的名作として知られるのが『真夏の夜のジャズ』(原題:Jazz On A Summer’s Day/1959年公開)である。今回はこの “ジャズ映画”の登場人物を中心に、往時のファッションを分析してみよう。

60年前の夏フェス映像

『真夏の夜のジャズ』は、1958年に開催された「第5回 ニューポート・ジャズ・フェスティバル」の様子をとらえたドキュメンタリー映画である。つまり、このフィルムにはおよそ60年前の夏フェスの様子が収められているわけだ。

撮影が実行されたのは、フェス開催(1958年7月3日〜6日)の4日間。トータル24時間にも及ぶフィルムを回し、これを80分の作品にまとめ上げたというのだから、さぞ編集作業には骨が折れたことだろう。映画の内容は、ライブステージの様子を主軸に、観客や風景がふんだんに映し出され、随所にヨットレースの光景も挟み込まれる。これは同時期にアメリカズ・カップがニューポートで開催されていたことを示している。

本作最大の特徴は「フェスの観客」にフォーカスしたシーンが非常に多いことだ。ミュージシャンの演奏シーンは全体の半分くらいで、残りは観客と風景描写に充てられている。さらに特筆すべきは、その観客たちが “おしゃれすぎる”という点である。仕込みのエキストラなのか? と疑ってしまうようなエレガントな人々が、次々と映し出されるのだ。

夏トラッドのお手本が満載

彼らのファッションは非常に興味深い。まず目につくのがサングラスだ。夏の屋外イベントということもあり、サングラス着用率が非常に高い。たとえば、左右の目尻に沿ってつり上がったシェイプのフォックス型サングラスをかけた女性客が何度も登場する。フレームの色は、定番の黒や茶をはじめ、白、赤、市松柄など、個性豊か。さらに “真知子巻き(注1)”にしたスカーフとフォックス型サングラスの組み合わせも数多く見られる。おそらくこのスタイルは、当時人気絶頂にあったオードリー・ヘップバーンによって流行したものと思われる。

注1:映画『君の名は』(1953)で岸惠子演じる“氏家真知子のストールの巻き方”に由来。当時の女性の間で大流行した。

一方、男性客は夏物のスーツやジャケットといったトラッドな服装が多い。これはステージのジャズマンも同様。男性客のほとんどはノータイで、シャツは第二ボタンまで開襟。ラフにスーツを着崩している。一方、出演者やその関係者とも思われるアフリカ系の人たちは、身体のラインにぴったり合うダークカラーのスーツを着用し、きっちりとタイドアップ。これはいわゆるジャイビー・アイビー(エクストリーム・アイビーとも呼ぶ)の影響もあろうが、白人たちと好対照を成していておもしろい。

男性たちのアイウェアも印象的だ。作品を観ていてまず目につくのはセロニアス・モンクの演奏シーン。ここでモンクがかけているサングラスは、テンプル(つる)が竹で造られた非常に個性的なものだ。おそらく、アルバム『モンクス・ミュージック』(1957)でかけているものと同一と思われる。

かたや客席に目をやると、白人男性の多くがサイドを短く刈り込んだクルーカットにウェイファーラー型サングラスを装着。この相性は抜群である。ティアドロップ型やサーモント型のサングラスも散見できるが、1958年当時は圧倒的にプラスティック・フレームが好まれていたようだ。

ちなみに「ウェイファーラー」とはレイバン(米ボシュロム社)ブランドの商品名であるが、アメリカン・オプティカル社からもウェイファーラーとよく似た「サラトガ」というモデルが発売されており、こちらも当時大ヒットした。あのジョン・F・ケネディが愛用したサングラスもサラトガであることが判明しており、希少なデッドストックやヴィンテージは現在も高値で取り引きされている。

こうした “60年前の夏フェス映像”のおしゃれ度はかなり衝撃的だが、当時のジャズの現場がすべてこんな雰囲気だったわけではない。これほど優雅で洗練された人々がニューポート・ジャズ・フェスティバルに集まったのは、それなりの理由があるのだ。

お洒落ずぎる観客の正体

このフェスが行われる米ロードアイランド州ニューポートは、18世紀から北米の主要港として栄えた港湾都市。かつては、忌まわしい奴隷貿易の拠点でもあったが、19世紀に入ると夏の避暑地、保養地としても人気の場所となった。当時ここには、鉄道王、石炭王などと呼ばれた大富豪や、政界の有力者たちがこぞって豪奢な別荘を構え、これに伴いカジノゴルフ場ヨットハーバーも造成。前述のアメリカズ・カップや、ゴルフの全米オープン、テニスの全米シングルス選手権(現在の全米オープンテニス)第一回大会が開かれたのもニューポートである。

ニューポート・ジャズ・フェスティバルがはじめて開催されたのは1954年7月(17日、18日)。ステージは屋外ではなく、ニューポートのベルビュー・アベニュー地区にあるニューポート・カジノが会場となった。スタート当初は「アメリカン・ジャズ・フェスティバル」というイベント名で開催され、2日間で約1万人を動員した(諸説あり)という。

このフェスの発起人は、地元の名士として知られたロリラード夫妻だ。夫のルイスは、1760年創業のタバコ会社「Lorillard Tobacco Company」一族の子孫で、ケントやニューポート、マーヴェリックといった銘柄をもつ有名メーカーの代表者。先述の鉄道王や石炭王に倣っていえば、さしずめ「タバコ王」とも言える億万長者である。

その妻、エレイン(1914年生まれ)は、結婚前にピアニストとして活動するなどの経歴も持つ、熱心なジャズファンだったという。もともとセレブの多いこの地域では、クラシックコンサートがおこなわれていたが、これに対し「ジャズの方が良くない?」と言い出したのがエレインだった。つまり、ニューポートという土地を基盤にした “社交界”が古くから存在し、彼らの夏の余興(=クラシックコンサート)がジャズに置き換わった。これが「ニューポート・ジャズフェス」のはじまりである。

エレインはジャズフェスの開催にあたって、コロムビア・レコードの敏腕プロデューサー、ジョン・ハモンドジョージ・アバキアンに相談した。この両氏のアドバイスのもと初回の出演者リスト(注3)を作成し、興行の運営に関しては、のちに“伝説の興行師”として名を馳せるジョージ・ウェイン(注4)を起用。鉄壁の布陣でスタートを切った。

注3:第一回の出演者は、モダン・ジャズ・カルテット、オスカー・ピーターソン・トリオ、ディジー・ガレスピー・クインテット、ジェリー・マリガン・カルテット、ジョージ・ロドリゲス、シアリング・クインテット、エロール・ガーナー・トリオ、ジーン・クルパ・トリオ、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド。

注4:1925年ボストン生まれ。アメリカのジャズ・プロモーター/プロデューサー。「ジャズの歴史上もっとも重要な“演奏家ではない”人物」とも称される。ニューポート・ジャズ・フェスティバルをはじめ、プレイボーイ・ジャズ・フェスティバルなどの音楽フェス設立や、こうしたイベントにスポンサー名を冠する(「kool jazz festival」など)という手法を編み出した人物としても知られる。

出演者でわかる“時代の節目”

フェスが発足して4年目の回に、映画『真夏の夜のジャズ』は撮られた。この年(1958年)にプロデューサーのジョージ・ウェインが采配した出演者は総勢50組以上。少なく見積もっても300名を超えるミュージシャンが参加している。そのなかで映画に登場しているのは、ジミー・ジェフリーソニー・スティットジョージ・シアリングセロニアス・モンクアニタ・オデイジェリー・マリガンアート・ファーマージム・ホールダイナ・ワシントンビッグ・メイベルチコ・ハミルトンマヘリア・ジャクソンルイ・アームストロングチャック・ベリーなど。

二日目のトリを務めたジミー・ラッシング。バックバンドはベニー・グッドマン・オーケストラ

こうして見ると、さまざまなスタイルの「ジャズ・ミュージシャン」がいるわけだが、ブルースゴスペル色も強いことがわかる。事実、4日間それぞれの大トリを務めたメインバンドは以下の通りである。

●7月3日(木)デューク・エリントン&ヒズ・オーケストラ
●7月4日(金)ジミー・ラッシング
●7月5日(土)マヘリア・ジャクソン
●7月6日(日)ルイ・アームストロング&ヒズ・オールスターズ

じつは初日の最終ステージもエリントン・オーケストラにマヘリア・ジャクソンがシンガーとして登場しており、ほぼ連日、リズム&ブルース風味のエンディングとなっているのだ。しかし「1958年のニューポート」で多くのジャズファンが連想するのは、マイルス・デイヴィスのライブアルバム『アット・ニューポート1958』ではないだろうか。

ところが、この映画にマイルスは1秒も登場しない。ちなみに、このフェスでのマイルス・デイヴィス・クインテットの出番は、初日(7月3日)「夜の部」の中盤あたり。メンバーは、マイルス・デイヴィス(tp)、キャノンボール・アダレイ(as)、ジョン・コルトレーン(ts)、ビル・エヴァンス(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)である。

こんなすごいメンバーをなぜ映画に登場させないのか? と憤るファンがいるかもしれない。が、この年の “出演者ランク” 的には、マイルスのクインテットはメインバンド(エリントン・オーケストラ)に次ぐ “サポート” 扱い。これは(音楽の方向性は違えど)映画に登場しているチャック・ベリーとほぼ同格である。いや、むしろ当時の多くの若者にとって、マイルス(=ジャズ界の新ヒーロー)よりも、チャック・ベリー(=ロックンロールの開祖)の方が魅力的だったかもしれない。この年のニューポートについて、米『ローリング・ストーン』誌は後年こう書いた。

この映画のもっとも魅力的な瞬間は、チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」である。

さらに、前出のジョージ・ウェイン(当フェスのプロデューサー)は自著の中でこう述懐している。

私の中で、ロックンロールはニューポート・ジャズ・フェスティバルにふさわしくないものだった。(中略)ステージ上のチャック・ベリーが「スクール・デイズ」を歌いながらダックウォークをやりはじめたとき、私は文字通り、泣いてしまった。なぜなら、批評家たちが私にナイフを投げつけてくると思ったからだ。しかし、観客たちはチャック・ベリーのパフォーマンスを支持した。

ここで興味深いことが2つある。まず “屋外ジャズフェスの起源” ともいわれるニューポート・ジャズ・フェスティバルが、開始5回目にして早くも “ロック歌手” を舞台に立たせたこと。そして、その会場で多くの若者たちがロックンロールに心奪われ、やがてくるブリティッシュ・インヴェイジョン(注6)へとつながる “節目”を迎えていること。

注6:British Invasion(イギリスの侵略)。1960年代半ばにイギリスのロックやポップ・ミュージックをはじめとする英国文化がアメリカ合衆国を席巻し、大西洋の両岸で「カウンターカルチャー」が勃興した現象。

1958年当時のチャック・ベリー。この年に「スウィート・リトル・シックスティーン」や「ジョニー・B.グッド」をリリース。同曲はのちにロックンロールの聖典となる。

当時のチャック・ベリー31歳マイルスコルトレーンと同じ1926年生まれであることも象徴的だ。そしてもうひとり、この会場には “同世代のキーパーソン” がいた。ほかならぬ本作『真夏の夜のジャズ』の監督である。

この映画の監督を務めたバート・スターンは当時30歳。『VOGUE』などのファッション誌をはじめ、数々の先鋭的な広告写真でも話題のフォトグラファーだった。のちに“亡くなる6週間前のマリリン・モンロー”を撮影した作品『ザ・ラスト・シッティング』でも大きな話題となり、リチャード・アヴェドンやアーヴィング・ペンらと並び称される大御所となった人だ。

先述のとおり、このフェスの出自は「社交界におけるカジュアルなパーティー」という性質があり、初期のメインターゲットは裕福な白人層だった。映像が録られた1958年の回(フェス開始4年目)においても、会場を訪れる女性の多くがエレガントなドレスやモダンなワンピースを身にまとい、当時の “リアルな上流階級ファッション” が自然に披露されている。そうした女性たちの姿を、本作の随所に挟み込んでいるのは、バート・スターンのファッションカメラマンとしての本能かもしれない。

1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバル会場内の様子

混迷するアメリカ“最後の一閃”

バート・スターンが執拗に追った「おしゃれな聴衆ジャズヨットレース」が何を意図していたのか、さまざまな解釈が可能だが、本当のところはわからない。しかしながら本作は、ジャズ好きは言うに及ばず、多くのファッション関係者をも魅了する。

1958年、ニューポート・ジャズ・フェスティバル会場内に設けられた物販スペースでアクセサリーを選ぶ女性客

ちなみに、この映画が公開された1960年以後、アメリカ社会を揺るがす大事件が連続する。1962年のキューバ危機、1963年のワシントン大行進、さらに同年にはケネディ大統領の暗殺事件。そして翌年、トンキン湾事件を経てベトナムへの本格的軍事介入…。あれほど強固で豊かに見えたアメリカに暗い影が差し始める。

この映画で感じるのは、第二次世界大戦と朝鮮戦争を経てやってきた “つかの間の平和”である。戦火が本土に及ぶこともほとんどなく、経済的にも圧倒的な優位に立った50年代のアメリカには、世界の富が集中し、人々は物質的な豊かさを享受することができた。そんな「豊かなアメリカ」を体現するような人々が、音楽に興じ、ヨットレースを楽しむ様子が描かれた本作。

『真夏の夜のジャズ』の雰囲気やファッションが、今なお憧憬の対象となっているのは、こうした“アメリカ黄金時代の最後のきらめき”が封じ込められているから。そう思えてならない。

文・川瀬拓郎

【連載】ジャズマンのファッション

【特集】ジャズフェスの未来