“BLUE NOTE とともに生きた男”の服装史【ジャズマンのファッション/第16回】

文/川瀬拓郎 

2019.02.13

ブルーノート・レコード(以下BN)が今年で創立80周年を迎えた。本連載でも、これまで幾度もBN作品を取り上げ、そこに映し出されたファッションアイテムについて考察してきたが、今回はアニバーサリーイヤーにちなんでホレス・シルヴァーにスポットを当てたい。

なにしろ、ホレスはBNに“最も長く在籍した男”である。つまり、彼のアルバムジャケットを年代順に並べると、彼のファッション性はもちろん、思想や信仰、さらには、1950〜80年代までのBN作品のデザイン変遷、そしてメンズファッションの流行の変化までもが透けて見えるのだ。

1500番台に見るホレスの厚遇

ホレス・シルヴァーのブルーノート初リーダー作は、ホレス・シルヴァー・トリオ名義の『New Faces New Sounds』(1952年)。ドラムにアート・ブレイキー、ベースにカーリー・ラッセル、ジーン・レイミーを迎えた作品で、彼が24歳のときに10インチ盤でリリースされた。

このときの本人は、白シャツに黒タイ姿。ただし、ネクタイはだらしないほどに緩められ、シャツのボタンも外したラフな格好だ。その後の『ホレス・シルヴァー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ』(55年)でも、ダブルカフスの白シャツにチェックのナロータイを合わせ、ちょっとふざけたポージング。

そこから一転、以前この連載でも取り上げた『6ピース・オブ・シルバー』(56年)である。ラフなトレンチコートの着こなしと、若き日のホレスの精悍な横顔を捉えたジャケ写はクールでシリアス。BNのジャケ史上、屈指のスタイリッシュな着こなしだ(本作に関する過去コラムはこちら)。

さらに、この翌年にリリースされた次作もスタイリッシュな出で立ち。タイトルもずばり『ザ・スタイリングス・オブ・シルバー』(57年)である。ここで着ているグレーのスーツは、ややサイズ感が合っていない(袖丈が余っている)が、茶のタイとベルトの合わせが小粋。また、このジャケット写真が、ブルーノートの歴史上「特別な1枚」であることも見逃せない。

ブルーノートに新たな「色彩」

この『ザ・スタイリングス・オブ・シルバー』(57年)は、ブルーノート作品で初めて、ジャケ写の撮影にカラーフィルムが使用され、当時でいうところの「天然色写真」で印刷された記念すべき1枚である。

もちろん、これまでも多くのジャケット写真に「彩色」は施されていた。が、それらはすべて、モノクロフィルムで撮った1枚の原画から2種のネガを作成し、ダブルトーンと呼ばれる(疑似カラー的な)印刷技法を使ったものだ。

一方、『ザ・スタイリングス・オブ・シルバー』のジャケット写真は、カラーフィルムで撮られ、これを4色分解した「カラー印刷」で仕上げられている。それまでのBNジャケの流れを変える、画期的なビジュアルだ。

ちなみに、本作の次にBNがリリースするジミー・スミス『ジミー・スミス・プレイズ・プリティ・ジャスト・フォー・ユー』(57年)もカラー印刷だが、制作費が尽きたのか、再び2〜3色に戻ってしまう。その後、25タイトルのリリースを経て、ようやくカラー印刷が復活するのだが、じつはこれもホレス・シルヴァー作品。『ファーザー・エクスプロレイションズ』(58年)である。

本作では赤いスカーフが印象的なコート姿を披露しており、かつての“元気のいい若者”路線から、少しずつ“落ち着いたオトナ”路線へ、ファッション的にもポージング的にも変化する姿が見てとれる。

本作を含む「1500番台」と呼ばれる作品群は、全部で98タイトルがリリースされているようだが、前述の通り、カラー印刷のジャケット写真は3作品のみ。うち2作がホレス・シルヴァーなのである。レーベル側としても、ホレスは「印刷費をかける価値のある」特別あつかいのミュージシャンだった、ということなのか。

4000番代のホレス・スマイル!

ブルーノートの「4000番台シリーズ」と呼ばれる作品群(1957年〜)で、最初のホレス作品は『フィンガー・ポッピン』(59年)。デザイン的には、以前の1500番台のトーンマナーを踏襲しつつ、再びスマイル&元気なポーズで登場だ。

次作『ブロウイン・ザ・ブルース・アウェイ』(59年)、次々作『ホレス・スコープ』(60年)はイラストを使用したジャケットだが、続く『ザ・トーキョー・ブルース』(62年)では和装の女性に囲まれ、再び本人登場。

翌年の『シルヴァーズ・セレナーデ』(63年)ともに、ここまでの彼はすべて満面の笑みだ。本作のホレスは、のちのトレードマークとなるハンチングを着用。黒いジャケットに、茶系の柄物タイという組み合わせもなかなか洒落ている。

 

本作が発売される頃(カタログナンバーは4100番台に突入)には、ジャケット写真の多くにカラー印刷が採用され、衣装の色や素材感が手に取るようにわかる。

女子ジャケとカジュアル化の進行

60年代の中盤にさしかかると、ホレス作品のアートワークに大きな変化が見えはじめる。1966年に発表された『ザ・ジョディ・グラインド』では、若い女性を両サイドに配したカラー写真を採用。構図としては、4年前の『ザ・トーキョー・ブルース』(和装の女性に囲まれる)と相似形だが、こちらは女性の衣装やメイク、ポージングにも60年代らしさを感じさせる1枚。

この写真で本人が着用しているのは、ハンチングに茶系のジャケット、グレー系のコーデュロイパンツ。50年代と違って、カジュアルダウンし、やはりここでも土っぽい色で統一しているのがホレス流だ。

ちなみに本作の前後でリリースされた、『ケープ・ヴァーディーン・ブルース』(66年)と『セレナーデ・トゥー・ア・ソウル・シスター』(68年)にも女性モデルを起用しているが、ともにホレス本人は不在。

 

この時期、ルー・ドナルドソンの『ミスター・シンガリン』(67年)や、オーネット・コールマンの『ラブ・コール』(68年)といった他のBN作品でも、鮮やかなカラー写真を活かすべく、サイケな衣装をまとった女性モデルが多数登場する。この時代のBN作品を象徴する、ひとつの様式ともいえよう。

大変身のホレスと落日のBN

そんなホレスのファッションに大異変が起こるのが70年代。その兆候は、60年代最後の作品『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』(69年)ですでに顕著だ。

このジャケ写には、本人はおろかファッショナブルな女性も登場しない。さまざまな人種(非白人)の「普通の人々」と、各々の出自にちなんだ衣装。そのバックには海と空と宇宙。これまでのアートワークと比較すると、明らかに様子がおかしい。

が、様子がおかしいのはホレス・シルヴァー作品だけではない。前回の当コラムで紹介した「ハービー・ハンコックの服装史」でも、突然の巨大アフロヘア&カジュアル化が見られたのが1969年(制作は68年)作品だった。

なぜ皆こうなるのか? ちなみに同時期(1968〜69年)のアメリカでは、こんなことが起きている。

●マーチン・ルーサー・キング暗殺(1968)
●ロバート・ケネディ暗殺(1968)
●アポロ11号が月面に着陸(1969)
●ウッドストック・フェスティバル開催(1969)
●ワシントンで過去最大規模の「ベトナム反戦集会」(1969)

様子がおかしくなっても仕方がない。ってくらいのショッキングな出来事だらけ。そして1970年代に突入すると…。

『ザット・ヒーリン・フィーリン』(70年)ではターバンとチュニック。『トータル・レスポンス』(72年)では髭をたくわえ、マリアッチ風の衣装。次作『ALL』(72年)のジャケはイラストなので割愛するが、この3作は明らかに「マインドが変化したホレス」を象徴する作品群である。

 

この三部作は演奏の面も特徴的で、まず、これまでになかった歌曲(ボーカル)を採用。さらにエレクトリック・ピアノを使用しており、曲名も抽象的でスピリチュアル感が満載。ちなみに1974年頃、ロサンゼルスのラジオ局(KPFK 90.7 FM)がホレス・シルヴァーのインタビューを放送しているが、そこで彼はこんなことを語っている。

「その頃(1969年)の私は、歌詞を書くことに興味を持ち、形而上学とインド哲学、ヨガにも関心が高かった。そして、いつも健康的な食品やビタミンに気を配っていた。つまり私は、肉体的、精神的、霊的なものすべてを完全に手に入れようとしていた。そのためにたくさんの読書をし、何度も自己を観察し、長い長い瞑想をおこなってきた」

ハンチング帽がターバンに替わった理由が、何となくわかる。が、この時期のホレス作品に対し、米音楽評論家のスティーブン・トーマス・アールワインは手厳しく指弾する。

「ファンク、フュージョン、ソウルジャズ、そしてアフリカのスピリチュアリティ、ヒッピー的な神秘主義といった奇妙な大風呂敷を広げるも、支離滅裂。このアルバム『トータル・レスポンス』は“超越”を目指しているとのことだが、自身の“滑稽な野心”につまずいている」

一方、レアグルーヴの文脈においては、本作はもとより「この時期のBNこそ黄金期」とする向きもあることを付記しておこう。

ハンチング帽ふたたび

前述の三部作のあと、ホレスはすぐに次作『In Pursuit of the 27th Man』(72年)を発表。ジャケ写ではランナーに変身しているが、当時のアメリカを席巻したランニングブームが背景にあるとしたら、先般の神秘主義しかり「世相に影響されやすい人」という見方もできる。

その後の彼は、『Silver ‘n Brass』(75年)で「デカ襟シャツ+別珍スーツ+キャスケット」の三点セットパターンを確立させ、以降の2作『Silver ‘n Wood』(76年)、『Silver ‘n Voices』(76年)でも、同パターンでジャケ写に登場。

  

ハンチング帽が戻ってきた。そして、たっぷりと蓄えた口髭と顎髭も消失。もちろん服装も大きく変化しているが、着目すべきは、その「素材感」である。この3作(Silver ‘n シリーズ)の衣装は、これまでのコットンやウール、レザーといった天然素材ではなく、明らかに化学繊維っぽい質感。

また、素材のみならず、襟の形状などにも当時の流行が反映されているが、これまでの「思想性」とは無縁の、いわば「当時の普通のおじさん」的モードだ。とは言え、当時の彼は40代後半なので、この雰囲気は十分自然だし、むしろ若々しくも見える。

この「Silver ‘n」シリーズはさらに、2作がリリースされる。

 

『Silver ‘n Percussion』(78年)では、なぜか再びアフリカ(?)の民族衣装で登場。そして、この翌年に発表された『Silver ‘n Strings Play the Music of the Spheres』(79年)のジャケは、ホレスの顔を模したイラストだ。

残念ながら、この年をもってブルーノート・レコードは(1985年まで)レーべル機能を停止。ホレスも離脱を余儀なくされる。結果的に彼は、50年代の5000シリーズから1500、4000シリーズを経て、BN-LA、BN-LTシリーズの全てにおいて作品を残し、ブルーノートの最長在籍記録を樹立。

ところで、前出のラジオインタビューで、ホレスはこんな質問を受けている。

「あなたはまだブルーノートに留まるつもりなのか?」

ホレスはイエスともノーとも言わず、こう答えた。

「私は“音楽がある場所”に留まるだけだ」

BNから離れた彼は、以降10作のスタジオ録音アルバムを発表。90年代にはコロムビア、インパルス!からリリースし、1998年にヴァーヴから発表した『Jazz Has a Sense of Humor』がホレスの遺作になった。

この遺作タイトル(ジャズにはユーモアのセンスがある)が示すとおり、結局、彼は最後まで笑顔だった。

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