投稿日 : 2017.12.13 更新日 : 2019.12.03

昔ながらの「カーキのトレンチ」を今こそ【ジャズマンのファッション/第5回 】

取材・文/川瀬拓郎 

 現在のハリウッドスターやポップスターがそうであるように、かつてジャズマンはファッションリーダーだった。彼らのスタイルは、その音楽と同様、現代でもさかんに引用されている。本連載では、そんなジャズマンたちが残した名盤とともに記憶された、彼らのファッションについて、さまざまなテーマで考察していきたい。

本格的な寒波が到来し、暖かい上着が手放せない今日この頃。防寒という点で、ダウンジャケットは優れたアウターだが、無個性な黒いダウンジャケットで街が埋め尽くされるのを見ると辟易してしまう。ここはひとつ、キザにトレンチコートを選んでみてはどうだろう。

トレンチコートで思い出すのは、映画『カサブランカ』(1942/米)のハンフリー・ボガート。また、『サムライ』(1967/仏)のアラン・ドロンや、『いぬ』(1963/仏)のジャン=ポール・ベルモンドの姿も想起される。役どころはさまざまだが、刑事や探偵などの“タフで硬派な男”のイメージだ。

一方、「トレンチコートを着たジャズマン」で、筆者がまず思い出すのはホレス・シルバーの『6 Pieces of Silver』(1957年)だ。

着丈の長いトレンチコートを身にまとい、ベンチに腰かけ、手にした楽譜を見つめるホレス・シルバー(当時28歳)。場所は公園だろうか? きっちりと手入れされたクルーカットのせいか、とても精悍に見える。モノクロ写真なのでコートの色は判別できないが、アルバムジャケットの左上に配置された「SILVER」の文字色と同じ、カーキ(サンドベージュ)であろう。この文字は、画面のなかで唯一、彩色された箇所でもあり、まるで「彼はこの色のコートを着ていますよ」と語っているようで面白い。

改めて彼のコートを観察すると、サイジングがゆったりしていることがわかる。さらに、裾がかなりヨレていること、チェックの裏地が配してあることも確認できる。全体にシワが入り、かなり味が出ているので、安価なトレンチをタフに着たおしていたのかもしれない。トレンチコートは当時すでに軍用品として数多く流通していたので、民間に放出された“軍モノ”か? とも思ったが、通常、軍モノの裏地にチェックを使うことはない。チェックを構成する格子のデザインから察するに、バーバリーのトレンチか、それを模していたブランドのものではないだろうか。

そもそもトレンチコートの「トレンチ(Trench)」とは「塹壕(戦場に掘られる穴や溝)」のこと。過酷な塹壕戦に求められる“防寒性や防水性を備えた軍服”として、第一次大戦時に英国陸軍の将兵に支給されたのが「トレンチ(塹壕)コート」である。もちろん現在のトレンチコートも、戦闘服としての特徴を多く残している。

例えば、雨風をしのぐために開発された「防水加工の生地」。この生地をもとに 、背面に溜まりやすい水滴を逃がすための「ストームシールド(バックヨーク)」や、動きやすさと防風性を併せ持つ「インバーテッドプリーツ(ひだ山が内側を向いている)」が施される。また、立ち襟にして喉元まで覆う機構「スロートラッチ(チンストラップとも呼ぶ)」も風雨対策だ。

さらに、水筒や双眼鏡を引っかけるための「エポーレット(肩章)」や、銃床を支える際に摩耗を防ぐ「ガンパッチ」。また、現在の製品では省略されていることも多いが、ウエストベルトには手榴弾などをぶら下げるための「Dリング」が装着され、フロントポケットは本来、ホルスターに入れた拳銃を素早く取り出せるよう、袋地とは別に内部へ貫通する構造になっている。袖付けは、動きやすいラグランスリーブ(注1)が採用され、ダブルの前合わせをウエストベルトで閉める設計も、トレンチコートの基本形だ。

注1:腕を動かしやすいように考案された、斜めの袖付けのこと。その出自はクリミア戦争時の英国軍将校ラグラン卿とされる。トレンチやステンカラーコートはもちろん、ベースボールTシャツなどでも多用されている。

上記の通り、すべてのディテールには意味があり、必要から生み出されたデザインなのである。こうした出自を知れば知るほど「ディテールをそのまま残している方が魅力的」と感じてしまうのは“男の性”というものか。

ジャケット写真のホレス・シルバーは座っているので、判然としないディテールもあるが、彼が着用しているトレンチも昔ながらの作りだったのであろう。たっぷりとしたシルエットと、袖通しが楽なラグランスリーブであることが見て取れる。過酷な戦地の環境に順応し、都会の冬景色にもカモフラージュするトレンチコートは、いかにも“無精なジャズマンの冬の装い”にふさわしい。このアルバムに収録された佳曲「Camouflage(カモフラージュ)」を聴くたびに、そんなことを思うのである。

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