投稿日 : 2017.09.13 更新日 : 2021.01.27

ブルーノートと白いシャツ【ジャズマンのファッション/第2回 】

文/川瀬拓郎

ジャズマンのファッション

 現在のハリウッドスターやポップスターがそうであるように、かつてジャズマンはファッションリーダーだった。彼らのスタイルは、その音楽と同様、現代でもさかんに引用されている。本連載では、そんなジャズマンたちが残した名盤とともに、彼らのファッションを考察する。

ブルーノート作品の白いシャツ

スーツを着用するビジネスマンにとっては制服の一部であり、消耗品でもある白いシャツ。ワイシャツとも呼ばれているが、これはwhite shirt(ホワイト・シャツ)が訛った日本だけの言葉である。男なら誰しも子供の頃から当たり前のように接してきて、特別な関心を払われることのない地味な存在でもある。

人気のテレビディレクターであり、洒落者としても知られる河毛俊作氏の著作『一枚の白いシャツ』(新潮社)に、こんな一節がある。

様々な人生経験を積んで脛に傷を一つ二つ持ち、清濁併せ呑むことができるようになった中年男にこそ白シャツは似合う。清潔感溢れる純白のシャツにスッと悪の影が差すところに色気が生じるのだ。

そう、スーツやジャケットのVゾーンで控えめに主張する白シャツにこそ、酸いも甘いも噛み分けた男のイノセンスが託されているのだ。

ジョー・ヘンダーソンのレギュラーカラー・シャツ

ジャズの名盤で「白シャツ」が印象的なものがいくつか挙げよう。まずは、ジョー・ヘンダーソンの記念すべきデビュー作『ページ・ワン』(1963年)。本作に収められた演奏はもちろん、レコードジャケットのアートワークもきわめて魅力的だ。

壁にもたれかけるように本人を立たせ、あえてぐっと引いたアングルのモノクロ写真。この遠近感を最大限に活かした構図は、いかにもデビュー作にふさわしく(作品タイトルも同様)、スタートラインに立つ若者の眼前に広がる未来を表現しているかのよう。

また、文字の配置にも、写真の遠近感が増す工夫が巧妙に施され、半世紀以上を経た現在でもショッキングかつ斬新なデザインだ。

そして、彼のジャケットの着こなしである。3つボタンのジャケットの真ん中だけを留めて、テーパードした細身のパンツと合わせている。足元はブーツ。首元にはナロータイ(注1)。ジャケットの下から覗かせるのは、白シャツだ。このシャツの白は、写真内のハイライト(光輝部/最も明るい部分)にもなっており、まるで即座に視線が誘導されるよう仕組まれたかのよう。

注1:細身のネクタイ。一般的に、大剣(もっとも幅の広い部分)が7~9センチ程度のものをレギュラータイとし、これよりも細い4~6センチ程度のものがナロータイ(スリムタイ)と呼ばれる。

彼が着ているジャケットはどうやらガンクラブ・チェック(注2)である。モノクロ写真なので実際の色は判別不可能だが、おそらくジャケットはカーキ系でパンツはチャコールグレイ。タイとブーツとメガネは黒だ。これらのダークトーンを純白のシャツが中和し、清潔感のあるトラッドな着こなしにまとまっている。襟型がもっとも基本的なレギュラーカラーであることも見逃せない。

注2:複数の格子パターンと色が使用されたチェック模様。「二重弁慶格子」とも呼ばれ、1874年にアメリカで発足した狩猟クラブのユニフォームに由来。

当時24歳だったジョー・ヘンダーソンの初々しさ。そこに白シャツが加わることで、アイビーリーガーのような育ちの良ささえ感じさせる。もし、このシャツが色付きであったら、ノーコントラストで重たいな印象となり「デザイン上のインパクト」や「デビューしたてのフレッシュさ」をこれほど表現できなかっただろう。白シャツは人を選ばない万能アイテムであるが、年齢や顔立ちはもちろん、着る者の内面性までを如実に映し出すものでもあるのだ。

デクスター・ゴードンのラウンドカラー・シャツ

次に紹介するアルバムは、デクスター・ゴードンの『アワ・マン・イン・パリ』(1963年)。前出のジョー・ヘンダーソンと同じ年にリリースされた作品だが、当時、デクスター・ゴードンは40歳。ベテランの域である。火のついたタバコを手に、遠くを見つめる男の横顔。そして、白シャツ。このシャツの「白」に、やはりブルーノートの真骨頂とも言えるタイポグラフィの配色で、さりげなく(フランス録音を示唆する)トリコロールになるデザインも秀逸だ。

この撮影において本人は、グレンチェックのジャケットに「ラウンドカラー(丸襟)のシャツ」を選んでいる。しかも、タイピンを使ってきっちりとニットタイを締めていることにも注目したい。シワの入り方から想像するに、シャツの生地はおそらくオックスフォード(注3)もしくは少し薄手のピンオックスであろう。

注3: 縦糸、横糸を2本ずつ引き揃えた平織りの生地。使用する糸の太さによって、ピンポイント・オックスフォード、ロイヤル・オックスフォードなど呼び名が変わる。

現在のようなシャツの襟型のバリエーションが出揃ったのは20世紀初頭で、1920年代の英国紳士は好んでラウンドカラー(丸襟)を着用していたようだ。英国貴族の子息が通うことでも知られる名門イートン校では、19世紀以降、ラウンドカラーが制服として採用された。そんな歴史をもつラウンドカラーが、パーティやフォーマルな場面にふさわしく、高貴な印象を与えるのはこうした理由があるから。

おそらく彼は、パリで行われたライブ盤であることを意識して、いかにもアメリカ的なボタンダウンではなく、あえてヨーロッパの貴族的趣味を感じさせるラウンドカラーを選んだのではないだろうか。ドラッグの影響でスランプに陥っていた彼が、心機一転、ヨーロッパでの再起を図っていたタイミングでもあったからだ。このイメージチェンジが功を奏したかどうかは定かではないが、本作での高い評価によって彼は見事カムバックを果たした。

ちなみにデクスター・ゴードンは白シャツがお好きなようで、過去作品を見返すと、およそ20近くのアルバムジャケットで白シャツ着用を確認できる。が、ラウンドカラーにタイピンは、この『アワ・マン~』のみ。やはりそこには何らかの意図を感じるのである。

前述したイートン校の例もそうだが、ここ日本でもラウンドカラーは私立校に通う児童や女学生の制服が想起され、どこかフェミニンなイメージがある。それゆえ、若者が着ると幼さや可愛らしさが先行してしまう。反対に、デクスター・ゴードンのような「脛に傷を持つ中年男」がラウンドカラー・シャツを着用すると、大人の遊び心や余裕さえも感じさせる。遠くを見つめるような彼の横顔が、どことなく知的でセクシーに見えるのはこの丸襟の白シャツのおかげである。

ハービー・ハンコックのボタンダウンシャツ

白シャツが印象的なブルーノートの名盤として最後に紹介するのは、ハービー・ハンコックの『テイキン・オフ』(1962年)。最初に紹介した2作品とほぼ同時期のリリースで、先述のデクスター・ゴードンも参加している。

ハービーのデビュー作としても知られる本作は、冒頭のジョー・ヘンダーソンと同様、“デビュー感”あふれるタイトル。そのサウンドもさることながら、ジャケット写真の大胆な配置とトリミング、そして優美なタイポグラフィも含め、非常に高度なテクニックが詰まった一枚といえよう。

このジャケ写で使用されているのは、俯瞰のカメラアングルで撮られたハービーの演奏シーン。ピアノの「白鍵と黒鍵」が「白シャツと黒タイ」と相似形になっており、この相似は、もう一つの巨大な鍵盤、つまり「白いレコードジャケット(白鍵)と、黒い縦長写真(黒鍵)」に回収されるという、デザイン上の意匠が施されている。

ハービーのボストン型メガネも魅力的だが、ここはやはりダークスーツと明快なコントラストを生み出しているボタンダウン(以後BDと略)シャツに注目だ。おそらく生地はオックスフォードで、ナロータイの下からは前立てのあるデザインであることが判別できる。50年代半ばから60年代、世界的に大流行したアイビールックの影響下にあったことを考えると、ブルックス・ブラザーズ社製である可能性が高い。

1940年代は男の強さや貫禄を感じさせるよう、身体を大きく見せるスーツが好まれていたが、50年代に入るとより身体に沿った細身のスーツが好まれるようになった。先述のジョー・ヘンダーソン同様、デビューしたばかりの若きハービーが選んだのは、当時流行していたスマートなスーツであり、そこに清涼感あふれる白シャツを合わせたのは単なる偶然ではない。ただ一つ大きな違いは、よりアメリカ的なBDを選んでいる点だ。

BDシャツの起源は、ブルックス・ブラザーズの創業者の孫にあたるジョン・E・ブルックスが、イギリスでポロ競技を観戦中、風にあおられて襟がばたつかないようボタンで襟を固定した選手を見たことに遡る。これにヒントを経て、1896年に製品化されたのがボタンダウン(同社の正式名称はポロカラーシャツ)である。実利のために生み出された機能的ディテールというのが、いかにもアメリカらしいBDシャツは、その後世界で大流行して現在に至る。

アメリカ生まれでスポーツを起源とするBDシャツは、ネクタイを外しても襟型が安定するという利点もあり、カジュアル好きに人気が高い。ゆえに、クラシックスタイルを重んじる洒落者の中には邪道とする向きもあるが、フィアット・グループの会長であり、現代のウェル・ドレッサーとしても称えられる、故ジャンニ・アニエッリは大のBD好きであった。また、アメリカントラッドを復活させ、2000年代以降のメンズモードを変革させたトム・ブラウンも、BDの愛好家である。

このように、BDシャツは既存の常識やルールにとらわれない、柔軟な思考の持ち主に愛されてきた。60年代はマイルスとのセッションで名を上げ、70年代は『ヘッド・ハンターズ』によってジャズ・ファンクを確立、80年代はヒップホップを大胆に導入…。自由な発想とアプローチで時代とともに変容し、ジャズの前線を切り拓いてきたハービー・ハンコック。彼がデビュー作で身につけたBDシャツは、まるで“自由と柔軟”に満ちた自身の未来を暗示しているようにも思える。

たかが白シャツ、されど白シャツ。ブルーノートの名盤に映し出された三者三様の着こなしを紹介したが、そこに垣間見えるのは、才気あふれる若者だけが持つ「清廉」。中年男性の翳りを帯びた「色気」。変革を恐れず挑戦する「自由」。いずれも、白シャツの魔力が封印されているのである。

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