投稿日 : 2015.11.06 更新日 : 2020.01.23

阿部和重【音楽/映画覚書】第2回『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』

文/阿部和重

丸太おばさんが亡くなった。『ツイン・ピークス』の狂言回し的な役割をつとめた、丸太おばさんことマーガレット・ランターマンを演じたキャサリン・E・コールソンが、去る9月28日に病により死去した。ちょうど少し前に、『ツイン・ピークス』新シリーズの製作が発表され(2017年放送予定)、いったんは企画からはずれたデヴィッド・リンチの監督復帰も決定したと報じられたばかりだっただけに、残念至極というほかない。

デヴィッド・リンチ監督作といえば、アンジェロ・バダラメンティの懐古趣味的な音楽であり、フェデリコ・フェリーニにとってのニーノ・ロータのごとく、ほとんど密接不可分なくらいに作品のイメージを決定づける重要な要素になっている。

『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』もまた、全面核戦争の危機におびやかされる冷戦前期の悪夢とでもいうべきものを思い浮かべさせるバダラメンティの音楽によって妖しく彩られているわけだが、じつは2曲ほど、監督リンチ自身の手による曲もふくまれている(のちにソロ名義のアルバムを2枚発表するほどリンチは音楽活動にも熱心に取り組んでいる)。そのうちの、トリップ・ホップ的な一曲「ピンク・ルーム」が使用される、作品中盤のナイトクラブ場面は、映画におけるクラブ描写の最良のもののひとつではないかと、筆者は前々から思っていた。とりわけあの、爆音のなかで交わされる聞きとりづらい会話の演出と、時間が経つにつれてどこまでも沈み込んでゆくような酩酊感と陶酔感の表現は、見事のひと言に尽きる。

あの劇場版が公開された頃の盛り上がりはよくおぼえている。テレビドラマ旧シリーズ終了の翌1992年のことだが、上映館の売店で作品名物のチェリーパイが売られていたりとか、ちょっとしたお祭り状態を呈し、観客のにぎわいも相当なものだった。

チェリーパイの味の評判はいまいちだった記憶があるが、ならば作品そのものへの反応はどうだったかといえば、不満顔で帰る客のほうが多かったようだ。ウィキペディア(記事項目『ツイン・ピークス』「新作」)によれば、公開直後のリンチはあまりの酷評に懲りて二度と続篇を製作しないと言いきったそうだから、世界的にかなりの不評を買ってしまったのだろう。仮に、“大いなる期待を集めつつも大勢のファンを失望させた一本”、とかいう殿堂でもあったとしたら、あの映画もそこに加えられてしまったかもしれない。

ウィキペディア(記事項目『ツイン・ピークス』「劇場版」)には、「上映時間の都合上、膨大な量のシーンがカットされてしまった事もあって、難解なストーリー展開を示し、当時の評価は惨憺たるものだった」と書かれているが、これはあくまで低評価の理由のひとつにすぎず、不評を招いた要因はほかにもあったと筆者は考えている。

まず、事前に周囲が盛り上がりすぎたのがまずかった。非常につづきが気になる後味の悪い結末となったテレビドラマ本篇のカルト化もさることながら、同時期に並行して製作が進められた監督作『ワイルド・アット・ハート』がカンヌでパルム・ドールを受賞するなど、80年代末から90年代初頭にかけてのリンチは絶頂期にあるように見えていた。

そんななかでの劇場版公開は、物語内容の補完と作品の出来映えという二重の強い期待をもって迎えられることになったはずだが、かように膨らむいっぽうのファンの望みに充分に応えるには、この劇場版製作には縛りがありすぎた。もとより予定されていたわけではなく、テレビドラマ版の放送終了後に生まれた企画だから、独立した作品としてはどうしても脆弱なつくりにならざるをえない。結末と展開の決まった不自由な形でしかストーリーを語りえず、つめこむべきもの(作中人物+エピソード)があまりにも多すぎるがゆえに演出ではじけまくることもむつかしいため、思いつきのアイディアを多用するリンチ自身の持ち味も出しづらい。そしてとどめに、「上映時間の都合上、膨大な量のシーンがカットされてしまった」とあっては、あらゆる面で中途半端な仕上がりになりかねない。

そもそもファンたちは、表現規制の厳しいテレビドラマ版のほうこそが、リンチの本領が発揮されきっていないと踏んでいたはずであり、拘束の解かれた劇場版はいっそう突き抜けた作品となってあの『ブルーベルベット』を上回る退廃的世界観の爆発を見せつけてくれるにちがいないと予想していたことだろう。が、上記の事情により、最初からそれは望むべくもない話だったのだ。

当時を冷静に振りかえれば、作家とファンの不幸なすれちがいをそんなふうに想像できるわけだが――ならば当時の自分自身は、あれをどう受けとめていたのかといえば、正直なところ、傑作だと思っていたし、いま見直してみてもそれは変わらない。『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』は、デヴィッド・リンチの最高傑作かもしれないとさえ思っている。

昨年発売されたBlu-ray BOXに、「上映時間の都合上」本篇から削られた「膨大な量のシーン」が特典映像として収録されているが、すべてチェックした上での結論としては、いかなる理由であれ、最終的にそれらがカットされたのは正しかったと思う。未公開シーンの大半は、レギュラーキャラクターたちの顔見世的な再登場場面であり、物語内容の補完にはなっても、決定的な謎が解かれたり、作品全体の感触が一変したりするわけでもないからだ。

邦題の示す通り、あれはローラ・パーマーの映画なのであって、そこに焦点を絞る以外に『ツイン・ピークス』の劇場版を成り立たせる方法は(少なくとも製作当時の時点では)なかったはずだ。もともとの世界観を壊さずに、本筋の欠落を埋めるには、テレビドラマ版では死者としてしか登場していないローラ・パーマーの「最期」のいきさつを前日譚として物語るほかない。当然ながらそれも創作上のひとつの縛りになってしまうが、結果的にはその焦点化=限定化により、テレビドラマ版の初回からリンチが強くこだわってきた、慟哭の表情や苦痛にゆがむ顔の描写というテーマの追求を最大限に際立たせることに成功したと言えるのだ。

苦痛にあえぎ、泣き叫ぶローラ・パーマーの顔を描くことを最大の目的として撮られたと言っていいあの映画は、さまざまな悪条件の重なりをかいくぐるなかで、満身創痍となったからこそ、比類ない一篇に仕上がったのだと筆者は考えている。作中のローラ・パーマーその人と、作品それ自体が、そこではほとんど同一化しているのだ。

 

作品名:ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間 デイヴィッド・リンチ リストア版
DVD発売元:コムストック・グループ
DVD販売元:パラマウント ジャパン
価格:1,429円+税
発売日:2013年08月23日発売(発売中)
(c) 1992 Twin Peaks productions