投稿日 : 2016.04.14 更新日 : 2018.12.28

松浦俊夫(DJ/プロデューサー)|RECORD! RECORD! RECORD! – レコードで聴きたい3枚 –

松浦俊夫(DJ/プロデューサー)

1990年、United Future Organizationを結成。日本におけるクラブカルチャー創世記の礎を築く。独立後も精力的に国内外のクラブやフェスティバルでDJ。さらにイベントのプロデュースやファッションブランドなどの音楽監修を手掛けている。
http://toshiomatsuura.com/


「ふと耳にした音楽がその人の人生を大きく変えてしまうかもしれない」。このキャッチフレーズを掲げてスタートし、今年7年目に入った私のラジオ番組InterFM897「TOKYO MOON」。振り返ってみると私の音楽との出会いも、この言葉に集約されていることを今回の取材を受けて改めて思った。もちろん、探し求めていた作品を手にする喜びはとても大きい。だがふと耳にした楽曲に雷にうたれたような衝撃を受け、人生観を変えられた経験をお持ちのあなたにならその“出会い”が前者とはまったく異なるものであることを理解してもらえると思う。半世紀近く生きてきて、その半分以上を音楽を生業にしてこれたのも、この偶然の出会いが要所にあったからこそ。すべて入手が容易な作品ゆえ未体験の方は、ぜひ体験してほしい。個人的に出会いは向こうからやって来てくれるのではなく、呼び込むものだと思っている。そして感覚を研ぎ澄ませればそのときを確実にキャッチできるはず。

 

  • Miles Davis
    Kind of Blue

    10代の一番ナイーヴな時期、高田馬場の駅近のレコードショップでクールな雰囲気を醸し出しているアートワークが気になり、手にした初めてのジャズのレコード。針を落とした時、最初は正直何が何だかわからなかった。だから全編を通し何度も聴き返した。目を閉じると暗闇に漂う光る紫煙が見えたような気がした。全身がゾクゾクした。それが、かのマイルスの作品であることさえ理解せずに…。それ以降、迷いが生まれるたびにこのアルバムを聴き返す。頭でっかちでない10代の感覚に戻るために。ちなみにこのとき同時に手にしたもう1枚はシャーデーの『Diamond Life』だった。時代は違うがトーンは同じだと今も思う。

     

  • Kenny Dorham
    Afro-Cuban

    我が国のファッション・シーンの祭典のひとつである「東京コレクション」。30年前は代々木公園に巨大なテントを設営し盛大に行われていた。今なお現役で走り続けるデザイナー菊池武夫の大ファンだった僕は、貴重な彼のファッション・ショーのチケットを幸運にもファッション誌の懸賞で手に入れた。期待と緊張が入り混じる、生まれて初めてのショー。スタートしてしばらくしてステージにアナログ・レコードを持った長身のDJが登場。レコード・プレイヤーにレコードをセットすると会場に突然、大音量のアフロ・キューバン・ジャズが流れ出した。それと同時にハットにクラシカルなジャケット&パンツ(胸にはチーフ替わりの白い手袋)の褐色の肌のダンサーが飛び出してきた。そのヴィジュアルとサウンドに雷にうたれたような衝撃を受けた。ジャズとダンスがひとつになった瞬間だ。インターネットもメールもない時代だったけれど、その楽曲がケニー・ドーハムの「Afrodisia」だと判明するまでにそう時間はかからなかった。それから30年、今も僕はここにいる。

     

  • United Future Organization
    Loud Minority

    自分が携わった作品を挙げるのはどうかと思ったが、発表からほぼ四半世紀が経ち、今またこの曲のコンセプトが時代に共振しているのを各所で感じるので敢えて紹介したい。“踊るジャズ”に魅了されてこの世界に足を踏み入れてから約5年が経った90年代初頭にその下地がない東京から世界に向けてこの曲を発信できたのは、出会いと熱意が生み出してくれた奇跡だと今も思う。昨日のことのように鮮明に思い出す南青山7丁目にあったスタジオの2Fで起きた偶然と必然。著名なトランペッターへのアプローチ失敗で奮起して見つけた生演奏のようなサンプリング。使用した英語のフレーズをネイティヴの英国人に言葉の解釈を確認したり、ロンドンのダンサーさえ踊れないほど早いテンポのダンス・チューンを作るというアイデアも制作前から根拠もなく世界に出すことをイメージしていたからである。しかしその時はまさか本当にその後、海外でもこの作品がリリースされ、メジャー・レーベルと契約するきっかけになるとは夢にも思っていなかった。制作当時の仮タイトルは「Killer Dancers」だった。