投稿日 : 2020.11.25

中原美野 ─会社員からジャズ奏者に転身。東京・NYを舞台に活躍中【Women In JAZZ/#27】

中原美野(なかはらよしの)は東京とニューヨークを拠点に活動するピアニスト。彼女がジャズ奏者になったのは大学卒業後のこと。会社員として働きながら、サックスの演奏をはじめたのがきっかけだ。その後、ピアノに転向して米バークリー音楽大学へ留学。同校卒業(2011年)後は、ニューヨークと東京を拠点に音楽活動を続けている。ジャズ・ミュージシャンとしてはちょっと珍しい経歴だが、一体どんな人物なのか?

趣味のサックスからジャズに入りました

──ジャズを演奏するきっかけは?

もともとクラシック・ピアノをやっていたんですけど、大学卒業後は会社員として働いていました。その頃に大友義雄(注1)さんのもとでジャズ・サックスを習い始めて、先生のライブに連れて行ってもらったんです。ジャズのライブを観たのはそのときが初めてでしたけど、すごくカッコ良くて。そこから太田剣(注2)さんや今泉正明(注3)さんのライブにも行くようになって。自分も演奏する側になりたいと思ってジャズ・ピアノを習い始めました。

注1:おおともよしお/サックス奏者。1947年東京出身。1960年代中頃から自己のグループで活動し、日本を代表するサックス奏者として現在も活動中。また後進の教育・育成にも力を注いでいる。

注2:おおたけん/サックス奏者。1990年代よりプロとしての活動を始め、大坂昌彦(ds)、TOKU(vo,flh)、小沼ようすけ(g)、小林陽一(ds)らのバンドに参加。2006年に『Swingroove』でメジャー・デビュー。その後も自己のグループや様々なセッションで活動中。

注3:いまいずみまさあき/ピアノ奏者。バークリー音楽大学で学び、帰国後は松本英彦、北村英二、日野晧正、渡辺貞夫など多くのミュージシャンと共演する。現在も自己のトリオの他、様々なセッションや音楽大学の講師などで活動中。

──サックスからピアノに戻った理由は?

サックスのキーはピアノとは違っていて、「ド」の音を吹いても、実際に出る音は「ド」じゃないんですよね(注4)。私はピアノで音感を培ってきたから、頭の中で譜面を転調しながら吹いていたんですけど、それがどうしてもうまくいかなくて。大友さんにも相談したんですけど「意味がわからない』って言われて(笑)。サックスの腕を上げるのは難しいと思い、長年続けてきたピアノでジャズを、と今泉さんに「教えてください」ってお願いしました。

注4:サックスは、楽器のキーがBフラット(テナーやソプラノ)、Eフラット(アルトやバリトン)であるため、「ド」のポジションで音を出しても、実際に出てくる音程は「シ」のフラットや「ミ」のフラットになる。

──その後、ボストンのバークリー音楽大学に行かれたんですよね。

そうです。会社員だと練習もちゃんとできないので、1年間ぐらい集中的に勉強したいなって思って。すぐに帰ってくるつもりでバークリーのオーディションを受けてみたら、合格したんです。でも実際に行くまでは1年半ぐらい悩みました。会社を辞めて行くのはやっぱり怖かったので。バークリー卒業後はニューヨークに行って、テイラー・アイグスティ(注5)に習ったりもしていました。

注5:Taylor Eigsti/ピアニスト。1984年生まれ。米カリフォルニア州出身。デイヴ・ブルーベック、クリス・ボッティ、ジョシュア・レッドマン、スティング、ジョン・メイヤー、エスペランサ・スポルディング、チック・コリアなどのツアーやレコーディングに参加。レコーディングアーティスト、作曲家として複数のグラミー賞にノミネートされる。

──その頃に好きだったジャズ・ピアニストは?

ニューヨークでは可能な限りライブを聴きに行って、いろんなピアニストを聴いたんですけど、ジェラルド・クレイトンが特に好きでした。もちろんテイラー・アイグスティも。日本人では、早間美紀さんや海野雅威さん。美紀さんは、日本にいたときからカッコいいなと思ってCDも買って聴いていました。

ジャズを聴き始めた当時、もちろんビル・エバンスやハービー・ハンコック、オスカー・ピーターソンなども聴いていましたけど、それよりもライブで聴く美紀さんの演奏が自分にはしっくりきましたね。アメリカに行ってからは、ハービー・ハンコックのコピーとかをよくやっていました。マイルス・デイビスと一緒にやっている頃のソロとか、あのワケのわからない感じがすごく好きです(笑)。

ポップス感覚で聴けるジャズを作りたい

──今回、オリジナル・アルバムの『EVE』と、ポップスのカバー・アルバムの『COVERS : Dreams of Our Lives』という2作品を同時にリリースしますね。

じつは2年ぐらい前にアルバムを出そうと考えて、曲を用意していたんです。ところが、そのあとポップスをジャズにアレンジすることにハマってしまって。レパートリーが増えて1枚にまとめられなくなって…じゃあ2枚作ろうと。

『Eve』(Yoshino Nakahara Records)

 

『Covers: Dramas of Our Lives』(Yoshino Nakahara Records)

──制作は、2枚同時に進行したのですか?

2枚分の全16曲を3日間で録って、その後、ミックスやマスタリング、CDジャケットの制作も同時に進行しました。

──オリジナル・アルバム『EVE』は、サックス(太田剣)の音が印象的でした。

そうですね。曲を作る時にサックスのメロディが聞こえてくることが多いんです。メンバーが演奏している感じを思い浮かべながら曲やアレンジを書きました。

──一方、カバー・アルバムはどんな方針で制作したのですか?

基本的に自分が好きな曲。映画とかドラマで使われていて、いいなと思った曲をたくさん収録しました。スガシカオさんの「あまい果実」に関しては、坂本竜太(注6)さんに私のライブにご出演いただくことがあって、だったらぜひスガさんの曲をやってみたいと思ってチャレンジしてみました。

注6:さかもとりゅうた/ベーシスト。21歳から様々なアーティストのサポート・ベーシストとして活動。2007年にスカシカオのバンドに参加し、バンド・マスターも務めた。他にも水樹奈々、中西圭三など多くのアーティストと共演し、現在も数多くのプロジェクトで活動中。2015年に自己のバンドSPICY KICKINでも活動している。

──ニューヨークを拠点に、現地のミュージシャンたちと演奏してみて、どんなことを感じましたか?

ニューヨークでは新進気鋭のミュージシャンたちと一緒にやることが多くて。だから、みんなけっこう熱くて勢いがあった印象です。

──こうやって美野さんとお話ししていると、ガツガツと前に出ていくタイプではないような…。

そうなんです。前に出るタイプではないです。でもニューヨークだと前に出ていかないと何事も始まらないので、そこはけっこう苦労しましたね。

──自分をアピールするために、衣装やメイクも重要?

ニューヨークで演奏を始めた頃は、すっぴんに近い状態で演奏することも多くて。衣装もきれいめのカジュアルなものが多いです。レコーディングのビデオを撮ったときは、自分ではそれなりにメイクをしたつもりだったんですけど、ビデオを見た日本の友人に「もうちょっとメイクをしたほうがいいよ」って言われました(笑)。

──ピアニストだからネイルとかもあまりできないですよね。

そうですね。興味がないですね。音大時代は特に、私に限らずピアニストは暇さえあれば練習していたというのもあって、「これからネイルに行ってくる」とか言っている子がいると、全然意味がわからない、と思ってました(笑)。

──いまは帰国していますが、今後もニューヨークで活動していく予定ですか?

ニューヨークに戻りたいですけどね、今はそのタイミングではないかな、と。しばらくは日本で活動していこうと思っています。じつはアルバムの制作資金を作る目的もあって、ある機関の職員として働いているんです。環境問題やSDGsにも関われる仕事なので関心もあって。しばらくはそれを続けながら演奏活動をしていこうかな、と思っています。

中原美野/なかはらよしの(写真右)
4歳でピアノを始め、大学卒業後に一般企業に就職するも、趣味でアルト・サックスを手にしたことがきっかけでジャズに興味を持つ。その後ピアノに戻り、ジャズ・ピアニストの今泉正明に師事。2009年にボストンのバークリー音楽大学に入学。卒業後に拠点をニューヨークに移し、地元のジャズ・クラブなどで演奏する。2015年にファースト・アルバム『A Ray of Light』をリリース。2017年からは日本でもツアーを行なっている。2020年にセカンド・アルバムとサード・アルバムを同時リリース。
【中原美野 オフィシャルHP】https://yoshinonakahara.com/

島田奈央子/しまだ なおこ (インタビュアー/写真左)
音楽ライター / プロデューサー。音楽情報誌や日本経済新聞電子版など、ジャズを中心にコラムやインタビュー記事、レビューなどを執筆するほか、CDの解説を数多く手掛ける。自らプロデュースするジャズ・イベント「Something Jazzy」を開催しながら、新しいジャズの聴き方や楽しみ方を提案。2010年の 著書「Something Jazzy女子のための新しいジャズ・ガイド」により、“女子ジャズ”ブームの火付け役となる。その他、イベントの企画やCDの選曲・監修、プロデュース、TV、ラジオ出演など活動は多岐に渡る。

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