投稿日 : 2022.01.04

「セックス」という名の音楽─ジャズの語源、ふたたび【ヒップの誕生】Vol.32

文/二階堂尚

ヒップの誕生Vol.32
ヒップの誕生 Vol.32
日本、そして世界のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載!

「Jazz」という言葉が歴史のどの時点で定着したのかは明らかになっていないが、その出自はほぼわかっている。ニューオリンズの売春街の俗語で、その後シカゴの暗黒街で使われるようになった「Jass」がジャズの語源であるとされている。白人に忌み嫌われた「ジャズ」という言葉は、ジャズという音楽がもつ本質的な官能性と反社会性を示す言葉でもあった。ジャズの語源から、あらためて原初のジャズの姿を明らかにする。

「Jass」として誕生したジャズ

聖人ほど嘘で固まったやつらはいない──ニーチェ

ジャズの歴史上最初に発売されたレコードは、ニューオリンズ出身の5人組白人バンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jazz Band、以下ODJB)の2曲入りSPだった。レコーディングされたのは1917年、すなわちアメリカが第一次世界大戦に参戦し、ニューオリンズの売春街区ストーリーヴィルが閉鎖された年である。この年がジャズにとって重要な意味をもつことは以前に書いた

ODJBの前身は、ステインズ・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Stein’s Dixieland Jass Band)で、リーダーのジョニー・ステインの名を冠したバンドだった。その後、Original Dixieland Jass Band に改名して録音したのが、「Dixie Jass Band One Step」と「Livery Stable Blues」の2曲である。

あえてアルファベットで表記しているのは、ODJBがデビューした時点で、まだ「Jazz」という言葉がなかった、もしくは定着していなかったことを示すためである。バンド名も曲名も表記は「Jazz」ではなく「Jass」となっている。

JassがJazzの語源であり、Jazzにはもともと性的な意味があったこともこの連載で前に書いた。売春宿で規定の時間をオーバーした客に女主人が「Jazz it up!」と怒鳴ったのが「ジャズ」の由来で、日本語にすれば「さっさと終わらせな!」といった意味になるようだ、と。しかし、1917年の時点でJazzという言葉がなかったことを考えれば、娼館の女将の言葉は「Jass it up!」と表記されるべきだった。

Jassという隠語がどこかで音楽のスタイルを示す言葉となり、その表記がどこかでJazzに変わった。それにともなって、Original Dixieland Jass Band の表記も Original Dixieland Jazz Band に改められたのだった。では、Jassはいつから音楽ジャンルをあらわす言葉となったのだろうか。

シカゴの酔客が叫んだ「うまい言葉」

ジャズ評論家の油井正一氏は、「ジャズという言葉はシカゴでつくられた」と断言している。場所も特定されていて、シカゴの「シラーのカフェ」という店だという。当時はまだステインズ・バンド・フロム・ディキシー(Stein’s Band from Dixie)と名乗っていたのちのODJBが演奏していた晩のことだった。「客の中にいた元ボードビリアンがウイスキーに酔ったあげく、“Jass it up!”と声援を送った」と油井氏は書いている。

「『こいつはうまい言葉だ』と直感した彼らは早速バンド名を Stein’s Dixie Jass Band と改名し、名のなかった音楽はついにジャズという名称をもった」(『ジャズの歴史物語』)

ややこしいので整理すると、Stein’s Band from DixieがStein’s Dixie(land) Jass Band となり、それが Original Dixieland Jass Band となり、最終的に Original Dixieland Jazz Band となったという流れである。油井氏が採用する説によれば、「Jass it up!」と発したのはニューオリンズの娼館の女将ではなく、シカゴの酔客だったことになる。しかし、このくだりだけでは「Jass it up!」の意味がわからないし、「うまい言葉」である理由も不明である。油井氏はたんに「Jassとはシカゴの暗黒街の俗語でわいせつな意味をもっていた」と説明するにとどめている。

問題は、Jass が何を意味するかだ。例えば、多義語である Get に近い意味合いがあるとして、客が叫んだ言葉を「Get it up!」と同じ意味と解釈してみるならば、これは「勃起する」となり、「俗語でわいせつな意味」という説明に見合う。つまり、酩酊した元芸人はステージに向かって「勃(た)てー!」と叫んだというわけだ。あるいは、語感的には「勃つー!」だったか。演奏が素晴らしすぎて興奮抑えがたく、ということならば、まあ辻褄は合う。

「娼館の女将説」と「シカゴの酔客説」のどちらが真実かはわからないが、両逸話が含むニュアンスからみるに、Jass とはおそらくFから始まる四文字言葉とほぼ同様の意味をもつ言葉だったのだろう。演者と観客との交歓をセックスになぞらえたと考えれば、なるほど「うまい言葉」と言っていい。

「ジャズ」という言葉を忌み嫌った白人たち

19世紀末から20世紀初頭にかけての時期、工業都市化が進んでいたシカゴには大量の人口が流入した。19世紀末から1930年代までの間、シカゴの人口は10年間にほぼ50万人の割合で増加し続けたという。流入したのは、職を求めてやって来たアメリカ南部の人々と、海外からの移民である。前者がジャズの母体となり、後者がギャングの母体となったのだった。

1925年頃のシカゴ

南部からシカゴにやってきた人の中には、ニューオリンズで演奏する場を失ったミュージシャンたちもいた。人の移動にともなって、南部の音楽が北上し、南部のスラングが北上した。そうして生まれたのが Jassという音楽であり、それがまもなくJazzと表記されるようになった。それがジャンルとしてのジャズの誕生であるととりあえず整理していいと思う。

Jass 以前に南部由来のこのスタイルの音楽は「ディキシー・ミュージック」などと呼ばれていたようだ。ディキシー(Dixie)とはアメリカ南部諸州の通称で、南北戦争以前にルイジアナ州で流通していた10ドル紙幣にフランス語で dix (英語のtenの意) と書かれてあったことに由来する。

1920年代のシカゴで育ったジャズは、30年代になって一気に大衆化する。ジャズの大衆化を牽引したのは、ベニー・グッドマンら白人ミュージシャンが率いるビッグ・バンドだった。しかし、グッドマンらの音楽は当初「ジャズ」ではなく「スウィング」もしくは「スウィング・ミュージック」と呼ばれていたようだ。『はじめてのアメリカ音楽史』の共著者であるジェームズ・M・バーダマンは、「ジャズという言葉には、黒人音楽であることへの偏見があったし、白人たちは自分たちの家庭に入れたくないという意識がはたらいていた」と言っている。

『はじめてのアメリカ音楽史』著・ジェームス・M・バーダマン、里中哲彦/刊・筑摩書房

この時代の「ジャズ」という言葉には、それが黒人の音楽であるという感覚だけでなく、Jass という隠語のいわば残り香のようなものがあったのだろう。加えて、それが生まれたのがシカゴの裏社会であったという事実も人々の意識下にあったかもしれない。要するに、「ジャズ」とは堅気の白人や良家の子女が人前で口にすることがはばかられる言葉だったのである。

にもかかわらず、歴史は「ディキシー」や「スウィング」をサブ・ジャンルの座に押しやり、「ジャズ」を大ジャンル名として採用した。それだけ、ジャズという言葉には魅惑的な語感と響きがあったのである。「ロック」して「ロール」するというかなり露骨な性行為の表現をジャンル名に冠したロックンロールと比べても、「ジャズ」という言葉には、淫靡にして詩的なニュアンスがある。そのニュアンスの差が、そのまま音楽のスタイルの差になっていると言ってもいいかもしれない。ディキシーランドやスウィングのような「まともな」言葉がジャンル名として固定していたら、その音楽は現在のジャズのように多くの人々を魅惑していたかどうか。

ピューリタニズムの反作用としてのジャズ

ジャズという音楽スタイルとジャンル名の成立の背景にあったのは、1920年に始まり1933年に廃止された禁酒法だった。酒を禁じる法律が、イリーガルな酒供給の担い手としてのギャングを育て、ギャングがジャズを育てた。

つくづく不可解なのは、なぜ禁酒法のような法律が「自由の国」アメリカで生まれたのかということである。いや、禁酒法は単なる法律ではない。禁酒法の施行はアメリカ合衆国憲法修正第18条によって確定し、その廃止は同21条によって決められた。つまり、憲法改正によって成立したルールということだ。アメリカの憲法とわが国の憲法を同列に語ることはできないとしても、酒の販売・提供を禁じる文言が憲法に書き込まれるという感覚を即座に理解することは困難である。なぜ、クー・クラックス・クランのような殺人的差別集団が今も存続しているのか。なぜ、銃犯罪による犠牲者が後を絶たないのに銃は規制されないのか。なぜ、つい数年前まで進化論の否定論者が肯定論者を上回っていたのか──。禁酒法は、それらの「アメリカの謎」と同列に語られるべき大いなる謎と言っていい。

歴史書を読めば禁酒法が生まれた背景と経緯はわかる。しかし、「酒を禁じる」というほとんど絵空事と言っていい事業に情熱を傾けた人々の、その聖人的情熱が何に由来するのかは容易にはわからない。アメリカを建国した英国人のピューリタニズム(清教徒主義)が根底にあるとする説明もあるが、なぜ20世紀のピューリタンたちは、そこまでして快楽や不道徳や社会悪を抑圧し、封じ込め、隠蔽しようしたのか。社会から酒を放逐することは、民衆のささやかな楽しみを奪うだけでなく、莫大な税収と酒造・飲酒業界の雇用を喪失させることになるにもかかわらず──。答えは依然風に吹かれている。

表向きは聖人的であったが、事実は半ば狂気の沙汰であった歪んだ情熱によって快楽と不道徳は抑圧され、酒文化は壊滅の危機に晒された。その狂気に対する反作用として生まれ育ったのがギャングとジャズといういわば別種の狂気であった。ジャズの庇護者であったギャングと暗黒街のエンターテイメントであったジャズの関係をあらためて掘り起こしてみたい。ギャングが跋扈し、ジャズが跳梁した1920年代のシカゴ。その中心にいたのは、イタリア移民の子だったあの男である。

(次回に続く)

〈参考文献〉『ジャズの歴史物語』油井正一(スイング・ジャーナル社)、『はじめてのアメリカ音楽史』ジェームズ・M・バーダマン、里中哲彦(ちくま新書)

二階堂 尚/にかいどう しょう
1971年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、フリーライターとなる。現在は、ジャズを中心とした音楽コラムや、さまざまなジャンルのインタビュー記事を手がけている。本サイトにて「ライブ・アルバムで聴くモントルー・ジャズ・フェステイバル」を連載中。

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