投稿日 : 2021.06.28 更新日 : 2023.12.19

「これまでのジャズ」と「これからのジャズ」─村井康司 インタビュー

ジャズという音楽は現在、どんな姿をしているのか。100年を越えるジャズの歩みを丹念に考究し、この半世紀の動きを感受してきた批評家は、昨今のジャズをどう解釈し、どう分析しているのか。『あなたの聴き方を変えるジャズ史』などの著作で知られる音楽評論家の村井康司氏に聞いた。

2010年代の出来事

──たとえば、この10年。ジャズ界で起きたことを振り返ると、ロバート・グラスパーとカマシ・ワシントン、あるいはその周辺のプレイヤーたちが多くの関心を集めました。

村井 ロバート・グラスパーは、2012年のアルバム『ブラック・レディオ』が大きなきっかけでしたね。以前の彼もいいピアニストではあったんだけども、あの作品でヒップホップやネオソウル的なものを初めて強く押し出して注目された。

Robert Glasper Experiment『BLACK RADIO』(2012)

──ジャズ奏者のそうした試みは、過去にもありましたね。

村井 たとえば90年代にグレッグ・オズビーとかブランフォード・マルサリスがやってましたけど、なんとなく、木に竹を接ぐみたいな感じがあって。もっと自然になるとこんな感じなのかな、というグラスパーのアルバムが出たのが2012年だから、もう9年前なんですね。

彼は正統的なジャズピアニストなんだけど、子供の頃から周りにヒップホップがあって、ラッパーやDJをやってる友達もいて。そうした身近に親しんできたジャンルの音楽と、自分のジャズのスキルをうまく使ってどんなことができるか。それをやったわけですね。

──カマシ・ワシントンも、同じような性質を持ったミュージシャンですが、グラスパーと違って、デビュー時からずっと “ジャズではあるけれど傍流” なサウンドでした。ただし、作品の随所で「伝統的なスタイルのジャズも、ちゃんとできるよ」っていうサインは見せていた。

村井 そうですね。伝統的なジャズのこともよく知っていて、意外と正統派のプレイヤーなんですね。暴れてるような印象がありますけど、ジャズサックス奏者としてはわりとバランスが取れているのかな、と思います。コルトレーン的なものもできるしビバップ的なこともやれる。楽器のコントロールがちゃんとできる、という意味では非常にバランスのいいタイプの奏者。

Kamasi Washington『The Epic』(2015)

──カマシ・ワシントンが広く認知されたのは2015年。『ジ・エピック』というアルバムでしたね。

村井 『ジ・エピック』を聴いて驚いたのは、とにかく編成がでかい。3枚組だし、スケールの大きな人だなぁ、というのがまず感想としてありました。僕が思うに、70年代にマッコイ・タイナーがやってた『フライ・ウィズ・ザ・ウインド』とか、あるいは彼のお父さんが関係していたホレス・タプスコットのビッグバンド。ああいうものと、彼が子供の頃から好きなタイプのヒップホップ的なものをうまく合わせた感じですよね。

──ヒップホップの背後にある多様な音楽も含めて、上手に捌いている感じですよね。

村井 カマシと関係の深いサンダーキャットもそう。70年代のAORみたいなものまで取り入れているでしょ。マイケル・マクドナルドやケニー・ロギンスをゲストに迎えたり。

──ひと頃、マイケル・マクドナルドやケニー・ロギンスあたりの作品を、からかい気味に「ヨット・ロック」と呼ぶ風潮があって、要するに “ちょっとダサいもの”として扱われてきた。けど、これをサンダーキャットは “超イケてるもの“として導入しました。加えて、70年代のジョージ・デュークっぽいフュージョン・テイストも入れてきましたね。

Thundercat 『DRUNK』(2018)

村井 ジャズの界隈では、フュージョンも「ダメなもの、触れてはいけないもの」みたいな雰囲気でしたよね。ところが、そういう先入観なしに向かい合って、素直に「これ、かっこいいじゃん」って思う人が現れた。

──そんな感性の持ち主たちが、2010年代のジャズを面白いものにしてくれました。

村井 ヒップホップに影響を受けた世代のジャズ・ドラマーたちって、意外とみんなデイヴ・ウェックルが大好きなんですよね。デイヴ・ウェックルとか、ダメなフュージョンの代表みたいに言われがちだけど、テクニック的にはすごい。そこは自分たちも会得すべき、みたいなね。だから “先入観的にダメ”っていうのは無くなっていますよね。

──そこはヒップホップを中心に、90年代以降のクラブミュージックでさかんにフュージョンが引用されてきた効果もあるのかもしれませんね。

村井 そうですね。ボブ・ジェームスとか、ものすごくサンプリングされましたよね。

──そもそもジャズって、生まれた時からずっとフュージョン(融合)を続けてきた音楽ですよね。これは村井さんの著書『あなたの聴き方を変えるジャズ史』を読むと実感が深まります。「現代のジャズ」を読み解くために、ここで、ざっくりとジャズの歴史をおさらいしてもいいですか?

そもそもジャズのはじまりは…

村井 おそらく1800年代の後半、アメリカのニューオリンズという街で生まれたものが原型になっている。それは間違いなさそうなんですよ。

──時代的には、日本がちょうど江戸時代から明治に入った頃ですかね。当時のニューオリンズ(ルイジアナ州)はフランス領で、貿易港として栄えていた。住人の多くはフランス系の人々と、アフリカから奴隷として連行された人々。この二つの文化が、ジャズの原型となる音楽を育んだ。というのが定説ですね。

ニューオリンズを拠点に活動していたジャズ楽団「タキシード・バンド」。1917年、結成当時の写真。後列右から2番目がバンドの中心人物、オスカー“パパ”セレスティン(1884-1954)。

村井 あと、フランス系とアフリカ系の混血を「クレオール」というんですが、ニューオリンズでは彼らの存在が大きかったと思います。もうひとつ重要なのは、ニューオリンズはカリブ海のいちばん北に位置していて、キューバやプエルトリコ、ハイチも近い。これら西インド諸島の音楽もたくさん入ってきたわけです。

──西インド諸島、つまりカリブ海の島々の多くはスペイン領でしたが、ニューオリンズと同じくフランス領だった島もいくつかありますね。独立前のハイチとか。

村井 ハイチの音楽は特に強く影響していると思います。19世紀初めにハイチで黒人革命があり、ニューオリンズに逃げてきた人がたくさんいたのですね。当然、港町なので世界中のいろんな文化圏の人が出入りしていて、その影響もあっただろうし、アメリカ南部のミシシッピ州やアラバマ州あたりの音楽、そしてアパラチア山脈の白人たちの音楽も入ってきたはず。

──アパラチアの音楽には、はるか昔にイスラム音楽から影響を受けた、スコットランドやアイルランドの音楽までもが内包されてる。

村井 そうです。もちろん、フランスの音楽やクラシック、マーチなどとも接点があった。そういう街でジャズは生まれたわけです。

──いわば、世界中のいろんな地域の食文化をブレンドした多国籍料理としてスタートしたわけですね。

村井 だからジャズってそもそも形がないんですよ。例えばブルースって“型”があるでしょ。ポピュラー音楽になるものってだいたい一定のフォームがあるんだけど、ジャズにはそのフォームがなかった。あるとすると、いろんな音楽を取り入れて、いくつかの管楽器とピアノと、まあ、そこらにある楽器で、即興演奏を含んだ演奏をする、という方法論ですね。どっちかというと「やり方」の音楽で、素材はなんでも良い。

──その性質は、現在までずっと続いています。

村井 そうですね。何を取り入れてもいい、ある意味、適当なところがある。ジャズは最初からずっとそうなんですよね。

──なのに、新しいことをやるたびに、多くのジャズファンが「あんなのはジャズじゃない」とか「あれはジャズに対する裏切り行為だ」と非難する。これもセットでずっと続いてきました。

村井 いまでこそ “ジャズの本道”のような扱いを受けている「ビバップ」でさえ、登場した当時は、それ以前のジャズファンがすごく反発したと言われていますからね。

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