投稿日 : 2020.09.28 更新日 : 2021.08.31

【チック・コリア】キャリアの全貌─代表作とともに振り返る

チック・コリア(1941-)はアメリカの鍵盤奏者/作曲家。1960年代の初頭にジャズピアニストとしてキャリアをスタートし、以降もジャズの歴史上きわめて重要な作品に関与。多くの名作、名演奏を世に送り出しています。

プロデビューまでの経緯

チック・コリアは1941年、アメリカのマサチューセッツ州チェルシーに生まれます。ジャズ・トランペッターだった父親の影響で、4歳のときにピアノ、8歳でドラムを始めます。

高校卒業後はニューヨークのジュリアード音楽院に進学。20歳になった頃、パーカッション奏者のモンゴ・サンタマリアのバンドに加入し、モンゴのアルバム『Go! Mongo』(1962年)の録音に参加。このラテン音楽作品で、チック・コリアは最初のレコーディングを経験します。

チック・コリアが参加したラテン音楽のアルバムジャケット
モンゴ・サンタマリア『ゴー・モンゴ!』(1962年)を皮切りに、ソニー・スティット『スティット・ゴーズ・ラテン』(1963年)、デイヴ・パイク『マンハッタン・ラテン』(1964年)、ハービー・マン『ラテン・マン』(1965年)など、ラテン作品のピアニストとしてレコーディングに起用され続けた。

その後も、アフロ・キューバンやブーガルーと呼ばれるラテン音楽のレコーディングに数多く参加。60年代に経験したレコーディングのほとんどは、ラテン系のダンスミュージックが中心でした。

そんななか、彼は自身のバンドを率いて初のオリジナル・アルバムトーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ』(1966年)を発表します。このデビューアルバムは、陽気なラテン風味は一切なく、シャープでシリアスな雰囲気のジャズ作品。当時25歳の彼が、収録曲のほとんどを自分で書き上げています。

マイルス・デイビスのグループに参加

デビュー・アルバムを発表後、さらに大きな転機が訪れます。彼が28歳のときでした。当時のジャズ界を牽引していた有力プレイヤー、マイルス・デイビスのグループに加入し、アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年)や『ビッチェズ・ブリュー』(1970年)などに参加します。

マイルス・デイビスのアルバムジャケット
マイルス・デイビス『ビッチェズ・ブリュー』(1970年)

これらのアルバムは、エレクトリック楽器を大胆に導入し、旧来のジャズとは一線を画すものでした。ジャズ界だけでなく、ファンクやロックミュージシャンたちにも刺激を与えた本作は、フュージョンと呼ばれる新しい演奏スタイルが勃興する、ひとつの契機になりました。こうした話題作に参加したことで、チック・コリアの名はさらに多くの人に認知されます。

ちなみに、前出のアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年)でチック・コリアは、マイルス・デイビスの指示によりフェンダー・ローズというエレクトリック・ピアノを演奏しています。この楽器は、その後のチック・コリア自身の作品でも、大きな力を発揮します。

演奏中のマイルス・デイビスの画像
1969年11月、ロンドンのジャズクラブで演奏するマイルス・デイビス(トランペット)のグループ。奥に見えるのは、エレクトリック・ピアノを弾く若き日のチック・コリア。

リターン・トゥ・フォーエヴァーの大ヒット

1972年、チックは『リターン・トゥ・フォーエヴァー』というアルバム発表し、新境地ともいえる音楽世界を表現。大きな話題になります。やがて、このアルバム・タイトルはバンド名となり、ベーシストのスタンリー・クラークらとともにリターン・トゥ・フォーエヴァーとしてのグループ活動を開始。

このバンドのセカンドアルバム『ライト・アズ・ア・フェザー』に収録された「スペイン」という曲は、のちにチック・コリアの代表曲として広く知られることになります。

その後も、同グループで発表したアルバム『ノー・ミステリー』(1975年)が、アメリカの音楽チャート「ビルボード200」で39位にランクイン。また、グラミー賞の最優秀インストゥルメンタル・ジャズ・パフォーマンス賞も獲得します。こうした一連の “リターン・トゥ・フォーエヴァー作品“は、当時のジャズ・フュージョン界で最大級のヒットを記録し、チック・コリアのキャリアを語る上で、もっと大きな成果の一つとして評価されています。

チック・コリアの名を世に知らしめ、商業的にも成功を収めたリターン・トゥ・フォーエヴァーでしたが、1977年のアルバム『ミュージックマジック』を発表後に解散。その後の彼は、「チック・コリア・エレクトリック・バンド」というグループを発足し、ロック的なアプローチを加味しながらフュージョン的な表現をさらに推進します。

また、これと並行して「チック・コリア・アコースティック・バンド」も始動。こちらは、エレクトリック・バンドとのバランスを取るかのような内容で、いわゆる “ジャズの定型” に寄り添ったスタイルの演奏。両ユニットは90年代の半ばまで精力的に活動します。

チック・コリア・アコースティック・バンドによる1991年のステージ。代表曲として知られる「スペイン」を披露。

2000年以降の活動と現在

2001年、チック・コリアは60歳を迎えますが、さらに意欲的な音楽活動を展開します。アルバム『過去、現在、未来(Past, Present & Futures)』(2001年)のリリースを皮切りに、21世紀以降も次々と新作を発表。それらのアルバムには世界各国の若手からベテランまで広い世代のミュージシャンが登用されており、日本人ピアニストの上原ひろみや小曽根真ともデュエット作品を制作しています。

その作風も多彩で、ピアノの独奏や、トリオ(3人編成)、管弦楽団との共演など、編成もさまざま。音楽性においても、古典的なジャズに立脚したスタイルから、現代音楽のような先鋭的なサウンドまでバラエティに富んでいます。

こうした、チック・コリアの多様な活動形態をおおまかに分類すると、以下のようにグループ分けできます。

サークル(フリージャズの奏者として知られるアンソニー・ブラクストンらと結成したグループ。1970年に初作を発表)

リターン・トゥ・フォーエバー(ベーシストのスタンリー・クラークらと結成したグループ。1972年に初作を発表)

チック・コリア・エレクトリック・バンド(1986年に初作を発表)

チック・コリア・アコースティック・バンド(1989年に初作を発表)

チック・コリア & オリジン(ベーシストのアビシャイ・コーエンらとともに1999年に初作を発表)

加えて、上記に該当しない自身のリーダー作や共同名義のアルバムも数多くリリース。その傾向を大まかに分類すると、以下のようにカテゴライズできます。

ソロ(チック・コリアのピアノ独奏。1971年の『ピアノ・インプロビゼーション』や、99年の『ソロ・ピアノ』など、ソロピアノ作品だけでも10作ほどリリースされている)

デュオ(二重奏作品。ビブラフォン奏者のゲイリー・バートンとの共作が最多。ハービー・ハンコックや小曽根真、上原ひろみといったピアノ二ストとのデュオも多い)

トリオ(ピアノ、ドラム、ベースによる三重奏作品。1968年の『ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス』や、2013年の『トリロジー』などの、いわゆる“モダンジャズ的なピアノトリオ”作品も多くのファンに支持されている。これまでに “チック・コリア・トリオ” や “ザ・チック・コリア・ニュー・トリオ”といった名義も使用し、多様なトリオ作を制作)

室内管弦楽(クラシックの楽団とのコラボレーション。1999年の『コンチェルト』など。また、上記のソロやデュオ、トリオなどの少人数編成で、クラシック音楽をテーマにした作品も多数)

もちろん上記以外でも、カルテット(4重奏)やクインテット(5重奏)、セクステット(6重奏)など、多種多様なフォームでいくつもの作品を発表しており、これまでにリリースしたアルバムは90作以上。23部門のグラミーを獲得しています。

さらに、チック・コリアの作品を説明する上で、大きなポイントと言えるのが「ラテン」です。前項で紹介した代表曲「スペイン」を含め、これまでにラテン音楽を主題にしたアルバムや楽曲を多数制作しており、1976年の『マイ・スパニッシュ・ハート』や、82年の『タッチストーン』などが、その代表作です。

これらの作品では、ブラジルやキューバといった中南米/カリブ諸島の音楽だけでなく、フラメンコなどのスペイン舞踏音楽なども含めた、広義の「ラテン音楽」をテーマに据えています。

最新のオリジナルアルバム『アンティドート』(2019年)でも、スペイン語圏のさまざまな伝統音楽を採用。本作はかなり本格的なラテン音楽バンドを率いて制作され、第62回グラミー「最優秀ラテン・ジャズ・アルバム」を受賞しました。本稿の冒頭で紹介した「チック・コリアのプロデビュー最初期はラテン音楽バンドだった」ことを鑑みると、まるで原点に立ち帰ったような作品です。

また、こうした音楽作品を発表する一方で、オンラインで学べる音楽アカデミーも設立(2020年6月)。後進の教育にも意欲的に取り組んでいましたが、2021年2月9日に急逝。79年の生涯を閉じます。

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