2019.07.25

【review】チック・コリアの新プロジェクトは“華麗で知的な”ダンス音楽ユニット

タイトル
Antidote
アーティスト
チック・コリア/ザ・スパニッシュ・ハート・バンド
レーベル
ユニバーサル・ミュージック

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60年代の末、ブラジルでトロピカリア(トロピカリズモ)と呼ばれる運動が起きた。その概貌は、音楽を中心にしたカウンター・カルチャー的ムーブメント。美術や文学、演劇、映画とも連係しており、即今のブラジル音楽を語る上でも極めて重要な事象だ。そんなトロピカリアとほぼ同じ時期に、ブラジル以外の南米諸国でも似たような動きがあった。チリやアルゼンチン、キューバなどのラテンアメリカ諸国で起きた、ヌエバ・カンシオン(Nueva canción)である。

「新しい歌」を意味するこのムーブメントは「音楽を中心にした社会変革運動」として、スペイン語圏のラテンアメリカ各国で勃興。欧州のスペインもこれに呼応した。ヌエバ・カンシオンの音楽家たちは、中南米各地のフォークソングを巧みに導入しながら、新しい大衆歌謡を創出していった。その歌詞には、社会的な献身や変革、人間の道義など、さまざまなメッセージが織り込まれる。と同時に、弾圧の対象にもなった。たとえば1973年のチリ。ピノチェトの軍事政権が成立すると、ヌエバ・カンシオンの音楽家たちは強制収容所送りに。殺害も横行した。アルゼンチンも同じ状況で、ともに亡命者が続出。これもブラジルのトロピカリアとよく似ている。

そんなヌエバ・カンシオンの重要アーティストのひとりがルーベン・ブラデスだ。当アルバムのタイトル曲を歌唱し、作曲も務めた。彼はパナマ共和国出身の音楽家で、とくに70年代以降のサルサ・シーンにおいて、新たな耽美性と洗練をもたらした偉人。「知的なダンスミュージックとしてのサルサ」を標榜し、先述のヌエバ・カンシオンにも大きく影響を与えた。そんな彼が歌う“アルバム表題曲”で、チック・コリアの最新作『アンティドート』は幕を開ける。

イントロから “伝統的サルサ” の作法にのっとった演奏。そして歌が始まった途端、あれっ? と拍子抜けする。こんな “ガチのサルサ” なのに、唄が英語なのだ。しかし、導入のひとしきりを歌い終えるとすぐにスペイン語にチェンジ。違和感が消えると同時に、なるほど…と感得。

どうやらこの歌詞はチック・コリアが書いた「檄文」のようなもので、冒頭の英語詞は、このアルバム「Antidote(解毒)の、いわば効能と理念について説明しているのだ。この宣言パートを歌い終えると「悪いけど、俺、本気だから」と言わんばかりの、デスカルガ(サルサ流儀のジャムセッション)フィーリングあふれる熱血プレイに突入する。しかも9分におよぶ力演。ただし、このアグレッシブで緊迫した演奏は、ナイロン弦のギターや、フルート、エレピといった“軟らかい”音に先導されながら進行。気品に満ちたダンスチューンに仕上げられる。以降に収録された、ルーベン・ブラデスがらみの曲も、70年代のNYサルサ・マナーを継受。ダンスミュージック然とした演奏だが、きわめて理知的だ。

ちなみに今回の収録曲は、オリジナル作品に加え、過去アルバム『マイ・スパニッシュ・ハート』(1976年)および、『タッチストーン』(1982年)由来の楽曲が目立つ。よって、愚直に 『マイ・スパニッシュ・ハート』との近似性や対照性を考えがちだが、じつは、存在感として最も近いのが1980年発表のアルバム『タップ・ステップ』である。類似点はおもに3つ。まず、ダンス・ビートに意識的であること。そして、多様なラテン音楽の様式(フラメンコやブラジル音楽ふくむ)に則ったこと。さらにこれを、けれん味なくストレートに実演したこと。では逆に、何が違うのか。

それが、本稿の冒頭で長々と付き合ってもらった話だ。ラテンアメリカ(スペイン語圏)で勃興したヌエバ・カンシオン。そしてルーベン・ブラデスが象徴する、エレガントで知的なダンスミュージック。その成分こそが、本作のオリジナリティを担保している。

ちなみに本作は、チック・コリア “ザ・スパニッシュ・ハート・バンド”名義で制作されており、メンバーはアメリカ、スペイン、キューバ、パナマのミュージシャンが混在。フラメンコをはじめ“ヌエバ・カンシオン”で繋がった国々の音楽が共存している。しかもこれを、ダンスミュージックとして存立させた。その極みが、濃醇なサルサであり、あるいは手拍子や足拍子を主軸にした、淡麗なフラメンコである。どの曲も、躍動を促す原動機として、見事な性能を発揮しているのだ。

しかしながら、これほどナチュラルにフォークロアを実演し、闊達にダンスしたアルバムが、チック・コリアの過去作にあっただろうか。いや、そんなアルバムはないし、こんなモードで演奏した曲もない。と思った途端、脳内のチック・コリア先輩が語りかけてくる。「おまえは、ワシの初期キャリアを知らんのか?」と。

そうだった。チック・コリアのメジャー初録音は、モンゴ・サンタマリアの『Go,Mongo!』(1962)。その後もウィリー・ボボや、カルロス・バルデスといった“米ラテン業界の保守本流”たちに気に入られ、連中とのレコーディングに明け暮れた。結果、ソロデビュー(1968年)までの数年間、仕事のほとんどが “快活なラテン作品” だったのだ。

そんな彼が“ザ・スパニッシュ・ハート・バンド”なるグループを率い、躍動的な楽曲集を作り上げた。今回のアルバムを携えたライブでは、きっと「客を踊らせる気でいる」に違いない。