投稿日 : 2019.07.25 更新日 : 2020.08.28

【review】チック・コリアの新プロジェクトは “華麗で知的な” ダンス音楽ユニット ─ザ・スパニッシュ・ハート・バンド─

タイトル
Antidote
アーティスト
チック・コリア/ザ・スパニッシュ・ハート・バンド
レーベル
ユニバーサル・ミュージック

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1960年代の末、ブラジルでトロピカリア(トロピカリズモ)と呼ばれる運動が起きた。その概貌は「音楽を中心にしたカウンター・カルチャー的ムーブメント」である。当時の美術や文学、演劇、映画とも連係しており、即今のブラジル音楽を語る上でも極めて重要な事象だ。

そんなトロピカリアとほぼ同じ時期に、ブラジル以外の南米諸国でも似たような動きがあった。チリやアルゼンチン、キューバなどのラテンアメリカ諸国で起きた、ヌエバ・カンシオン(Nueva canción)である。

「新しい歌」を意味するこのムーブメントは「音楽を中心にした社会変革運動」として、スペイン語圏のラテンアメリカ各国で勃興。欧州のスペインもこれに呼応した。ヌエバ・カンシオンの音楽家たちは、中南米各地のフォークソングを巧みに導入しながら、新しい大衆歌謡を創出。その歌詞には、社会的な献身や変革、人間の道義など、さまざまなメッセージが織り込まれた。と同時に、弾圧の対象にもなる。

たとえば1973年のチリ。ピノチェトの軍事政権が成立すると、ヌエバ・カンシオンの音楽家たちは強制収容所送りに。殺害も横行した。アルゼンチンも同じ状況で、ともに亡命者が続出。これもブラジルのトロピカリアとよく似ている。

そんなヌエバ・カンシオンの重要アーティストのひとりがルーベン・ブラデスだ。彼はパナマ共和国出身の音楽家で、とくに70年代以降のサルサ・シーンにおいて、新たな耽美性と洗練をもたらした偉人。「知的なダンスミュージックとしてのサルサ」を標榜し、先述のヌエバ・カンシオンにも大きく影響を与えた。

そんな彼が歌う “アルバム表題曲” で、チック・コリアの最新作『アンティドート』は幕を開ける。

歌唱だけでなく、作曲もルーベン・ブラデスである。イントロから “伝統的サルサ” の作法にのっとった演奏。しかし歌が始まると、ちょっとした違和感が。こんな “ガチのサルサ” なのに詞が英語なのだ。が、導入のひとしきりを歌い終えるとすぐにスペイン語にチェンジ。違和感が消えると同時に、なるほど…と感得する。

どうやらこの歌詞はチック・コリアが書いた「檄文」のようなもので、冒頭の英語詞は、このアルバム「Antidote(解毒)」の、いわば効能と理念について説明しているのだ。この “宣言パート” を歌い終えると「悪いけど、俺、本気だから」と言わんばかりの、デスカルガ(サルサ流儀のジャムセッション)フィーリングあふれる熱血プレイに突入。しかも9分におよぶ力演だ。

ただし、このアグレッシブで緊迫した演奏は、ナイロン弦のギターや、フルート、エレピといった “軟らかい” 音に先導され、気品に満ちたダンスチューンに仕上げられる。以降に収録された、ルーベン・ブラデスがらみの曲も、70年代のNYサルサ・マナーを継受。ダンスミュージック然とした演奏だが、きわめて理知的だ。

 

ちなみに今回のアルバム収録曲は、オリジナル楽曲に加え、チック・コリアの過去作『マイ・スパニッシュ・ハート』(1976年)および、『タッチストーン』(1982年)所収の楽曲が目立つ。よって、この2作との近似性や対照性がフォーカスされやすいが、じつは、存在感として最も近いのが1980年発表のアルバム『タップ・ステップ』である。

『My Spanish Heart』(1976)/『Touchstone』(1982)
『TAP STEP』(1980)

『タップ・ステップ』との類似点は3つ。まず、ダンス・ビートに意識的であること。そして、多様なラテン音楽の様式(フラメンコやブラジル音楽ふくむ)に則ったこと。さらにこれを、けれん味なくストレートに実演したことだ。では逆に、過去のチック・コリア作品には見られない、新しい要素は何か。

それが、本稿の冒頭で長々と付き合ってもらった話だ。ラテンアメリカ(スペイン語圏)で勃興したヌエバ・カンシオン。そしてルーベン・ブラデスが象徴する、エレガントで知的なダンスミュージック。その成分こそが、本作のオリジナリティを担保している。

ちなみに本作は、チック・コリア “ザ・スパニッシュ・ハート・バンド” 名義で制作されており、メンバーはアメリカ、スペイン、キューバ、パナマのミュージシャンが混在。フラメンコをはじめ “ヌエバ・カンシオン” で繋がった国々の音楽が共存している。しかもこれを「ダンスミュージック」として存立させた。その極みが、濃醇なサルサであり、あるいは手拍子や足拍子を主軸にした、淡麗なフラメンコである。どの曲も、躍動を促す原動機として、見事な性能を発揮しているのだ。

しかしながら、これほどナチュラルにフォークロアを実演し、闊達にダンスしたアルバムが、チック・コリアの過去作にあっただろうか。いや、そんなアルバムはないし、こんなモードで演奏した曲もない。と思った途端、脳内のチック・コリア翁が語りかけてくる。「おまえは、ワシの初期キャリアを知らんのか?」と。

そうでした。チック・コリア先輩の初録音は、モンゴ・サンタマリアの『Go,Mongo!』(1962)。その後もウィリー・ボボや、カルロス・バルデス、カル・ジェイダーといった “米ラテン業界の保守本流” たちに気に入られ、連中とのレコーディングに明け暮れた。結果、ソロデビュー(1968年)までの数年間、録音仕事のほとんどが “快活なラテン作品” だったのだ。

そんな彼が、78歳を迎えたいま “ザ・スパニッシュ・ハート・バンド” なるグループを率い、躍動的な楽曲集を作り上げた。今回のアルバムを携えたライブでは、きっと「客を踊らせる気でいる」に違いない。

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