投稿日 : 2021.05.20 更新日 : 2023.03.22

【ポンタ・ボックス】「無名の日本人トリオ」が欧州のフェスで絶賛─村上“ポンタ”秀一の偉業|ライブ盤で聴くモントルー Vol.31

文/二階堂尚

モントルージャズフェスティバル、ポンタボックス
「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

3月に亡くなったドラマー、村上“ポンタ”秀一のリーダー・トリオ「PONTA BOX」がモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演したのは、1995年のことである。日本の音楽についてほとんど何の知識もないヨーロッパの聴衆を前に3人は圧巻のパフォーマンスを繰り広げ、観客の心を鷲掴みにしたのだった。その記録『ライヴ・アット・ザ・モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』は、今でもPONTA BOXのベストの作品と言われている。ビル・エヴァンスの「お城のエヴァンス」にオマージュしたジャケットでも知られる「お城のポンタ」。その魅力にあらためて迫る。

山下達郎がポンタのドラムを念頭に書いた曲

「ポンタは圧倒的に個性が違う。技術的な問題じゃないんです。これって言語化できない境地で、ミュージシャンというのは、とどのつまり言語じゃないんですよ」

村上“ポンタ”秀一が亡くなったあとのインタビューで、山下達郎はそう話している(文春オンライン「山下達郎ロングインタビュー」)。彼のセカンド・アルバム『SPACY』の10曲中5曲でポンタはドラムを叩いていて、とくに内省的なミディアム・ナンバー「DANCER」は、ポンタがドラムを叩くことを念頭に置いて山下が書いた曲だった。

山下達郎『SPACY』(1977年)

「ああいう16ビートを叩ける人が他にいなかった。ちょっとルーズなところがすごく好きだったんです。だからドラムから始まる。ドラムで始まって、延々そのパターンで行く」(同上)。

このアルバムはまた、山下達郎が自分が考える「ドリーム・チーム」を結成してレコーディングした初めての作品でもあった。すなわち、ポンタ、細野晴臣(ベース)、松木恒秀(ギター)、佐藤博(ピアノ)である。ポンタと細野の共演はこれが初めてであり、結果、『SPACY』は、現在まで山下達郎の最高傑作の一つと見なされる作品となった。ポンタがヘロイン所持で検挙され、医療刑務所に収監される1年前のことである。

ジャズをやりたくて結成したわけじゃない

当時からポンタのスケジュールを押さえるのはたいへんだったらしい。ジャズから歌謡曲まで八面六臂の活動を続けていたポンタの武勇伝は枚挙にいとまがなく、年間の総セッション数が2780本、CM832本という記録があるとか、6時間ノンストップで84曲を録音したなど、壮絶な逸話には事欠かない。「数が多すぎて、今では自分でもどの曲を叩いたのか、よくわかんない」と、自伝の著書『自暴自伝』(2003年)で自ら語っている。

1972年の赤い鳥のドラマーとしてのデビューから、途中の収監を経て、80年代半ばに至るまで日本一多忙なセッション・ドラマーとして寧日のない日々を送っていた彼が、初の本格的なリーダー・バンドに取り組み始めたのが88年。それがPONTA BOXだった。『自暴自伝』では、彼がどんな思いをもってこのトリオを結成したのかが詳しく語られている。

曰く、「ジャズなんか聴きそうもないおねえちゃんたちに、俺たちの音楽を聴かせてやろう」を合言葉に結成したのがPONTA BOXで、「ジャズのジャの字も知らない若いやつらが初めて聴きにきた時、『お、かっこいい』と言うような、そういうバンドをイメージしていた」のであり、「どれだけ繊細なメロディを三人のプレイヤーが『対話』する中から紡ぎ出していけるか。それがPONTA BOXのひとつのテーマ」だった。また、「ジャズをやりたくてPONTA BOXを作ったわけじゃないんだよ。環境音楽に近い、風景を感じさせる演奏であり、音楽をやりたかった」「メロディ、ハーモニー、リズムの三役を三人がそれぞれこなせる、三人で九人前のバンドにしたかった」のだとも。満を持して結成したリーダー・バンドだったこともあって、相当な思い入れがあったことがわかる。

聴衆の心を一瞬でつかんだ極東の無名バンド

結成初期には、メンバーが交代でハイエースを運転して全国を回る貧乏ツアーをしていたというPONTA BOXがモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演したのは、セカンド・アルバム発売直後の1995年7月のことだった。このフェスへの出演は、ポンタにとってたいへんに意味のある出来事だったらしい。というのも、彼が「対話する音楽」の一つの手本としていたのが、ビル・エヴァンス・トリオ、とりわけモントルー・ジャズ・フェスティバルのビル・エヴァンスだったからだ。PONTA BOXのモントルーのライブ盤のジャケットはエヴァンスのライブ盤へのオマージュになっていて、シヨン城の写真のアングルも、文字の配置もほぼ同じである。

ビル・エヴァンス『モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス』(1968年)。モントルー・ジャズフェスの録音盤の中でも屈指の名作として知られる。

聴衆の中にPONTA BOXというバンドを知っている人がほぼ皆無であることをポンタはよく知っていたから、とにかく演奏で客の心を鷲掴みにしてやろうという意気込みがあったに違いない。ステージは、ファースト・アルバムでも録音していた「ネフェルティティ」から「ピノキオ」へのメドレーでスタートし、「ジンジャー・ブレッド・ボーイ」「天国への7つの階段」「フット・プリンツ」「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」「フリーダム・ジャズ・ダンス」と、マイルス・デイヴィスの、中でも60年代の黄金のクインテットのレパートリーをほぼノンストップで畳みかける構成で半ばまで進行する。会場がマイルス・デイヴィス・ホールだったことを考えれば、これは最高の演出だった。極東からやって来た無名のバンドのパフォーマンスの素晴らしさに観客が度肝を抜かれている様子が伝わってくる。

ジョージ・ベンソンから観客を奪う

そうしてオーディエンスの耳を釘づけにしておいて、後半はメンバーのオリジナルを聴かせるというこれも巧みな構成で、最後はピアノの佐山雅弘の代表曲「ラヴ・ゴーズ・マーチング・オン」からの「シング・シング・シング」「ストレート・ノー・チェイサー」で締める。計算され尽くしているにもかかわらず、それを一切感じさせないエネルギッシュなステージングはまさしく圧巻というほかない。満場の拍手に続くアンコール曲は、エヴァンスのレパートリーで、モントルーのライブ盤にも収録されていた「ナーディス」「マイルスが録音しなかったマイルス作」として知られる曲である。ステージが終わったあとの「してやったり」というポンタの不敵な笑みが目に浮かぶ。

ドラム・ソロのパートがほとんどないのはステージのすべてがドラムの見せ場だからであり、そもそもポンタがことさらにソロで自己を主張するタイプのドラマーではなかったからだ。「歌伴」でキャリアを磨いてきた彼にとって、あくまでも重要なのはシンガーやほかのプレーヤーとの一体感であった。

ジャズ評論家の高木信哉氏によれば、別の会場で同時間帯にジョージ・ベンソンがプレイしていたが、PONTA BOXのすさまじいパフォーマンスの様子を聴きつけた聴衆たちが、ベンソンのステージからPONTA BOXのステージに大量に移動してきたという(『ドクターJAZZ』)。ポンタ自身はこう振り返っている。

「モントルーの観客は最高だったね。ヨーロッパのお客さんってフェスティヴァル慣れしているから、未知の音楽を偏見なく受け入れて、演奏がよければ惜しみなく拍手を送る、そういう態度が身についている。モントルーでは、同じ敷地内にいくつかの会場があって、様々なミュージシャンが同時にやっている。お客さんは見るものを選ぶわけ。PONTA BOXはヨーロッパではまったく無名だったのにもかかわらず、会場が大入り満員の大盛況になったのもそういうことだと思う」(『自暴自伝』)

初めて買ったハイハットの音を忘れられない

ピアノの佐山雅弘が2018年に亡くなり、ポンタも逝ってしまった今、PONTA BOXのステージを再び見ることはついに叶わなくなった。ポンタはリハーサルから本番の間にシーバス・リーガルのボトルを空にする酒豪であり、結局のところ酒が彼の命を縮めてしまったのだろうと山下達郎は語っている。しかし、その豪快さの陰にあった繊細さを自分は知っているとも。「本当に優しいやつなんです。それは最初に会った時から変わらない」と山下は古い友を偲ぶ。

よく知られた話だが、ポンタが自分のドラム・セットを買って本格的にドラムを叩いたのは、赤い鳥のオーディションを受ける4、5日ほど前だった。そのときのことを彼はのちのちまで憶えていた。

「初めて買ったハイハットの音を忘れられないんだ。左足を踏んでそれが『チャッ』と鳴ったあの瞬間ときたら……これは一生忘れられない」

初期衝動を抱えたままで半世紀の音楽人生を駆け抜けた、素晴らしい「ドラム小僧」であった。

文/二階堂 尚

〈参考文献〉「文春オンライン/山下達郎ロングインタビュー」真保みゆき https://bunshun.jp/articles/-/44612、『自暴自伝』村上“ポンタ”秀一 (文春文庫PLUS)、『ドクターJAZZ 内田修物語』高木信哉(発行・東京キララ社発行/発売・三一書房)


『ライヴ・アット・モントルー・ジャズ』
ポンタ・ボックス

■1.Nefertiti 2.Pinocchio 3.Ginger Bread Boy 4.Seven Steps to Heaven 5.Footprints 6.If I Were a Bell~Freedom Jazz Dance 7.Pin Tuck 8.Dawn 9.Fifteen 10.Concrete 11.Love Goes Marching On (Rumba)~Straight No Chaser 12.Storm of Applause 13.Nardis
■村上“ポンタ”秀一(dr)、佐山雅弘(p)、水野正敏(b)
■第18回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1995年7月21日

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