【Women In JAZZ】寺久保エレナ「私は最初から誰よりも巧かった」NY在住の“リトルガール”は努力の人

インタビュー/島田奈央子  構成/熊谷美広

2018.06.01

寺久保エレナ インタビュー

ジャズ界で活躍する女性ミュージシャンの“本音”に切り込むインタビューシリーズ。今回登場するのは、ニューヨーク在住のサックスプレイヤー、寺久保エレナ。

13歳で「ボストン・バークリー・アワード」を最年少受賞し、その後も渡辺貞夫、山下洋輔、日野皓正らと共演。また、高校3年時に発表したメジャー・デビューアルバム『North Bird』にはケニー・バロンやクリスチャン・マクブライドが参加し、大きな話題に。

そんな才媛が、今年3月に自身5枚目となるアルバム『LITTLE GIRL POWER』を発表した。本作のタイトルに「女性へのエールを込めた」という彼女の想いを、“女性プレイヤーの気持ち”が最もわかるライター、島田奈央子が聞いた。

フュージョン大好きな小学生女子?

——10年くらい前に、札幌のライブハウス“くう”のマスターから「寺久保エレナっていう、すごい中学生がいる」という話を聞いて。一体どんな子だろう…って思っていたんですよ。

「“くう”は地元なので、よく行ってました」

——周りの友達で、ジャズのライブハウスに行く人なんていなかったでしょ。

「あ、でも友達も無理やり呼んでたので(笑)、中学の友達がいちばん前の席でジャズを聴いていました(笑)」

——その頃から、ストレートなジャズをやっていたのですか?

「中学生のときは“Extra-Gain”っていう、思いっきりフュージョンのバンドをやってました。デヴィッド・サンボーンと本田雅人さんの大ファンで、小学校の後半から中学校の前半は、フュージョン少女でしたね」

——フュージョン少女! 素敵な響きですね(笑)。

「いまでも自分の中には“フュージョンが好き“という側面があります。だから、フュージョンとかファンクとかも、機会があれば、ジャズとは違うプロジェクトとしてやってみたい。アメリカにいると、例えばファンクでも、日本人にはない、すごいフィーリングを持った人にいっぱい出会います。せっかくアメリカに住んでいるんだから、そういうのもやってみたいなって思っています」

——サックスを始めたのは、いつ?

「9歳のときです。M&M‘s(チョコレート)の、サックスを持ってる人形をもらって、それがカッコいいな〜と思って(笑)。それで両親がジャズのライブに連れて行ってくれて、そこからジャズとサックスにハマりました」

——サックスの魅力に取りつかれていった、と。

「練習すればするほど上手くなるし、自分がイメージする音楽に、どんどん近づいていく感覚がすごく楽しかった。だから学校から帰ると、ずっと練習してました。っていうか、サックスの練習しかすることがなかったんです(笑)」

——それは音楽教室とかに通って?

「はい。近所の音楽教室で理論を習って、ジャズ・スクールではビッグバンドに参加して、別のところではフュージョンも習って。あとピアノとエレクトーンも習ってました」

——ちょっと頑張り過ぎじゃないですか?

「そうですね。何かわからないけど、極めることが好きだったんでしょうね」

サマーキャンプで受けた洗礼

——小学生が通うジャズ・スクールというのは、どんな感じなのでしょうか。

「札幌・ジュニア・ジャズスクールという小中学生のスクールがあって、その中に“SJF JUNIOR JAZZ ORCHESTRA”っていう小学生のビッグバンドがあるんです。だから同じぐらいの世代で楽器をやっている人も多いし、周りに誰もいなかったら練習しないかもしれないけど、上手い人がいっぱいいたら、それにも刺激されますし」

——そんな環境の中で「私、この世界で活躍するかも」と思っていた?

「私は最初から、誰よりも上手かったんです(笑)」

——これは失礼しました!(笑)。

「きちんと練習もしてたし、他の小学生よりは吹けていたと思います。でもみんなどんどん上手くなっていくから、絶対にトップをキープしたいという思いはずっとありました」

——偏見かもしれませんが、北海道は土地が広大だからサックスも思いっきり練習できたりするのかな……って。

「うちの場合は、隣近所に迷惑をかけたと思いますよ(笑)。ヘタしたら、隣の話し声も聞こえてくるようなアパートでしたから。一応、夜の10時までということは決めていました」

——それで高校生のときに、バークリー音楽大学のサマー・スクールに行ったんですよね。

「北海道グルーヴ・キャンプという、バークリーの各楽器の教授が1週間教えてくださる特別講座がありました。楽器別に、S、A、B、Cとクラスが分かれていて、私はSクラスだったんですけど、本州から受講に来ている人もいて、その中には大林武司(p)さんや、石川広行(tp)さんなどもいました。みんな上手くて『本州にはこんなに凄い人がいるんだ…』って、すごく刺激になりました。そのキャンプで選ばれて、ボストンのバークリーのサマーキャンプに5週間行けることになったんです」

——実際に行ってみてどうでした?

「こんなに自由で、いろいろな国の人と音楽が作れて、楽しいなって。それで5週間の講座が終わって帰国して、またいろんな刺激を受けて、次の年もまたそのサマー・スクールに行って。そのあとに奨学金をいただいて、4年制の本科に進むことになりました」

——それが2011年。しかもバークリー留学前にメジャー・デビューしましたよね。

「そうです」

——日本でデビューしちゃったら、アメリカで学生やってる場合じゃないぞ、とは考えなかった?

「どうしようかな…? って迷いましたし、いろんな人からいろんな意見も聞きました。スーパースターになって、豪邸に住めるかな、とか(笑)。でも自分は、チャーリー・パーカーやキャノンボールみたいには演奏できないというのはわかっていたので、それをバークリーでしっかり学ぼうと。日本国内の活動をセーブしてでも、ちゃんと音楽を学びたかったんです」

——それって潔いなって思います。

「両親も『好きにしていいよ』って言ってくれましたし、私自身も、向こうに行って良かったなって思います」

米国ひとり暮らしで感じた“人生”

——バークリー時代は、寮に住んでいた?

「そうです」

——知らない国の、言葉も通じない場所での寮生活はどうでした? ホームシックとかにはならなかった?

「それが、ホームシックには全然ならなかったんです(笑)。ほんとうに毎日が楽しくて、ドラマや映画で見ていたキャンパス・ライフというか、いろんな人種のひとたちと一緒になって勉強するというが楽しかったですね。向こうにはタイガー大越さん(注1)という、頼れる日本人の方もいましたし」

注1:トランペット奏者として、1970年代半ばにマイク・ギブスやバディー・リッチのオーケストラに参加。1978年にはゲーリー・バートン・グループのレギュラー・メンバーに抜擢される。その後も自己のバンドTiger’s Bakuのリーダーとして、ビル・フリゼル、マイク・スターン、ヴィニー・カリウタらと活動。現在はバークリー音楽大学の教授職にある。

——言葉で苦労したことは?

「いま思えば、あったかも知れないですけど、それで苦労した覚えはないです。札幌時代にインターナショナル科みたいな、英語専門のコースに行っていたので、なんとか通じて仲良くできた」

——食事は?

「寮の食事は、3食バイキングなんです。でもアメリカの食事ですから、最初の頃はすごく豪華だと思うんですけど、それが毎日続くと、ちょっと疲れてくる(笑)」

——卒業後はニューヨークに移住して、ひとり暮らしですよね。

「やっと慣れてきました。洗濯物を畳むのって、みんなこういう気持ちでやってるんだな、とか(笑)。以前は、ずっと音楽のことばかりを考えていたけど、洗濯の時間、掃除の時間、料理の時間とか、他のことも同時に上手くなっていかなきゃダメだなと思ったので、そういうことがわかってくると、人生がちょっと豊かになったような気がします」

——食事は自炊ですか?

「毎日のことだから、手の込んだものとかは作れないですけど、そばとかうどんとか…、親子丼、カレー、シチュー、パスタとか簡単なものは作ってます」

 

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