【鈴木勲】82歳。でも、新しい音を出したい

取材・文/山本将志 撮影/大森エリコ

2015.07.01

鈴木勲

楽器の音色に驚き、感動した出来事があった。中学生になったばかりの頃に開かれた部活動紹介。その時に吹奏楽部の先輩が吹いたフルートの音色の美しさに、青いながらも感動したのをはっきりと覚えている。それから20年、楽器の音色に再び感動し、私の楽器に対する原風景を鮮やかに甦らせるきっかけとなったのは、今年82歳になるジャズ・ベーシスト鈴木勲のベースの音だった。

アメリカのジャズ・ドラマーであるアート・ブレイキーに見出され単身渡米。帰国後、オリジナル・アルバム『BLOW UP』は、ジャズ・アルバムとしては異例の大ヒットとなる。そして現在も、日々練習を重ね進化し続け、2015年3月11日に最新アルバム『入魂の“アヴェ・マリア”』をリリースした。CDをパソコンに入れ再生する。現在となっては当たり前のことだが、どこか味気ない試聴方法にもかかわらず、弦の振動、指の動き、呼吸ひとつにとっても画となって見えてくるほど生命力溢れる音が聴こえてくる。まるで鈴木勲とベースが物体として1つになり音を奏でているようであり、原風景を呼び起こすには充分なエネルギーだった。ベースを弾き続けて約60年。鈴木勲というミュージシャンは、この長い年月どのようにベースという楽器と向かい合ってきたのだろうか。

「進化しなきゃ。昨日より今日、今日より明日。それをずっとやってる。82歳になっても新しい音を出したいって思っている」

ーー勲さんを初めて拝見したのが2013年の「Red Bull Music Academy」のイベントの時で、WWW(東京都渋谷区)でのDJ KENSEIさんとのセッションでした。

「そうなんだ。あの日は面白かったね。」

ーー打ち合わせや練習もこの日のためにされていたのに、本番で白紙に戻されたそうですね?

「そうそう。やっぱり決まっちゃうと面白くないじゃん。即興じゃないと。僕はどっちかというと即興のほうだから。でもデタラメにやるってわけじゃないよ。お客さんがいるんだから、ある程度のものができなきゃダメだよね。デュエットなんだから、2人がちゃんと合ってないとダメ。」

ーー正直、初めて見た時はセッションってわからない部分があったんです。でもCD『New Alchemy』になってゆっくり聴いてみると、あの日のセッションの音楽的な魅力に気付けたんです。ジャズって即興が見どころだっていう部分もあるじゃないですか? でもDJが流すものって録音物なので、そこに対して抵抗みたいなものってなかったんですか?

「もう何の音が出ようと僕は構わないわけ。DJのかけるレコードや音にも、ある程度テンポってものがあるじゃない。それが途中で変わっていくように、僕もその間を縫っていくように、弾いていかなきゃいけないわけ。それでまたテンポの違うものになる、もしくは最後まで同じテンポでいくか。その辺が難しいとこだよね。それはDJと僕とで決めなきゃいけない。決めなくても僕は聴けば合わせるけどね。」

鈴木勲とDJ KENSEIによるライブセッション音源CD『New Alchemy』。アートワークは、Mo’ Waxのアートワークでも有名な中西俊夫が担当。

ーーKENSEIさんが出した音と勲さんが出した音が、音域でぶつからず両方うまく聴こえてました。

「今どんなキーでやってるかっていうのはすぐに分かるから、合う音は出せるでしょ。それで、どんなリズム感だったら合うかって、それを瞬間にとらえないといけない。ベースは大変ですよ。それに、お客さんをノセなきゃいけないし、聴かせなきゃいけない。飽きちゃったからパターンを変えるとか、そういう瞬間を見極める“瞬間芸”が必要だよね。」

ーー瞬間芸?

「ジャズでもそうですよ。瞬間に最高なことをやらないといけないんだよね。周りの音をよく聴いて、100分の1秒レベル単位で演奏する。早いか遅いかで人の心をとらえられるかどうかが、かかってるからさ。それを今すごく研究してる。」

ーーその感覚になるまでにどれくらいかかるものなのですか?

「60年くらいかかるんじゃないかな(笑)、たぶん。察知してパッと瞬間にいいことができるかどうかは、もう相当やってないと。今でも毎日4時間は練習してるからね。」

ーーちなみにどのような練習を?

「瞬間にパーンと音を出したらそこから何ができるか。」

ーーそれをずっと1人で4時間も?

「1人で。だから、もう誰とやってもこれはこういう形だなってすぐわかるようになった。リズムも良くないといけないし、面白くならないといけないし、すべてのものが一緒くたになって、瞬間でいいことやらなきゃ。1つのことをポンっとやるだけじゃないんだよね。その先もあるし後もある。お客さんのノリとかも瞬間的にとらえる。そしてまだ誰もやってないことやらなきゃ。そこまで考えなきゃね。でも、そりゃあもう大変!普通に曲を演奏するなんて誰でもできますよ。でもそれじゃあね…。進化しなきゃ。昨日より今日、今日より明日。それをずーっとやってる。82歳になっても新しい音を出したいって思ってる。」

ーー個性ということですね。

「そう、個性ね。それもただデタラメな個性じゃなくて、みんなが聴いてすごいなっていう理にかなったやつじゃなきゃ。そこまで研究しないとダメだってこと。」

ーーそれを今も研究されていると。

「研究してる。そうじゃなきゃ世界で通用しないからね。たとえば、ブラジルに行ってサンバやったって、彼らがやってるサンバとはちょっと違うけど、かっこいいリズムでやったら、彼らが「え、すごいな!」ってなるじゃん。そういう変わったリズム感をとらえて、そこで出して聴かせる。そういうものがないと。ただめちゃくちゃやるんじゃダメで、理にかなってないと。相当できるやつが聴いて、あの人はすごいなってそう思わせないとダメだよね。でもそれってけっこう難しいけどね。あと、1人でやるのと相手がいるのでは全然違う。だから2人でやるんだったら2人の、3人だったら3人の。この人が出してる音に対して僕は何をやって、どういう風に音を出したらその人が活きるか。それで僕も活きるから。瞬間でとらえて、考えるより先に手が反射しないと。」

ーーそこまで達するには、日々の訓練しかないですね。

「そうよ。明日これやるじゃダメなんだよ!」

ーー勲さんが一緒にやられて、この人とのセッション気持ちよかったなっていう人は誰かいますか?

「気持ちいいじゃなくて、わかってるなって思うやつは日野皓正。あいつ今さ、73歳だから肺活量きついらしいんだよ(笑)。」

「名前が売れてても進化しなきゃ、昔と同じじゃ海外で誰も相手にしないよ。1人で行ってごらんなさいよ。誰が一緒にやってくれるの。日本からお金持って一緒にやってくださいなんて誰だってやるさ」

ーー勲さんがベースをやられたのって19歳くらいですよね? ルイ・アームストロングの公演を観て。

「そう。ベースのミルト・ヒントンを観てね。もう目の前でやってたからね、俺は絶対これだーって思ったね。」

ーーそれまで音楽は?

「全く知らない。」

ーーじゃあなぜそれだって思ったんですか?

「なんていうんだろう…感動したんだよね。親父がたまたま招待券を持ってたから行ってみたのよ。行ったら1番前の席だったんだよね。目の前でベースのソロを聴いて、これだ!ってなって。感動して泣いちゃってさ。それでその日に、おふくろに楽器欲しいって言って。」

ーーでも当時、楽器なんて今より簡単に買える代物じゃなかったように思うのですが。

「有楽町の西武百貨店があったところにちょっと前まで日劇って大きなビルがあって、そこの4階、5階におふくろの経営する美容院があったんだよ。お弟子さんも今名前を聞くとすごい人たちがいて。それくらいおふくろは腕が達者で稼いでくれてた。それに顔も広かったから、コンサートの関係者にベースのことを聞いて買ったらしいんだよね。その当時楽器なんて売ってないから。」

ーーそれからストリップ劇場でベースを弾くことになるんですね?

「そうそう。ルイ・アームストロングの公演を観た帰りに、今はないけど東劇バーレスクっていうストリップ劇場に「ベース募集」って貼り紙があったのを見つけてさ。それで、ベースを手に入れてから1週間くらい経ってたのかな? もう一度行ったらまだ募集してて。それで何も知らないけど「ベース弾きたいんです」ってお願いしたら、「えっ? じゃあ坊や弾いてみな」って言われて、ボンボンって弾いて、でも全然弾けないんだよ。でも「僕はルイ・アームストロングを聴いて、どうしてもこれをやりたいんです」って言ったら、「根性がいい」って言われてさ、それで教えてくれたんだよね。それで毎日お昼頃から行ってベースを教えてもらってた。それで夜になるとショーが始まるわけ。ベースのところに折り紙を貼っておくから交互に弾けって。紫のドレス着たらこう、赤いドレスはこう。それが最初だよ。ポンポコポンポコしか弾けなかったよ。でも半年くらい練習してけっこう弾けるようになっていった。毎日そのストリップに来る兵隊が2人いるんですよ。そのうち、「お前はジャズをやるのか?」とか言われて。「Yes」って答えると、「じゃあ立川のキャンプに来い」って。彼ら軍楽隊をやってるんだって。朝、旗を揚げたらその後はみんなジャズをやってたんだ。そこに入って、みんなとジャズの練習をやってた。楽器がたくさん並んでてね、ベースもドラムもピアノも何台もあって。そんなところで、みんな兵隊をやりながらジャズをやっているわけ。それで僕と友達になった人がトニー・テキセイラっていうギターの人で。僕は1970年にアメリカへ行ったでしょ? その時彼はボストンのバークリー音楽大学で先生やってたんだよね。そんな人が兵隊で来てたんだよ。その人がいなかったら今、俺ベースやってないかもね。その当時、兵隊がやってたバンドを日本のジャズメンが聴きに来てたんだよ。その中に貞夫ちゃん(渡辺貞夫)とかがいたんだよ。俺を2世だと思ってたらしいんだよね。」

ーーそれが20歳くらいですよね?

「そうだね。貞夫ちゃんとか俺がそのくらいだね。」

ーーその時代、日本の大衆音楽って何が流行ってたんですか?

「日本の音楽なんてその時全然聴いてない。ベースやるってことで、もうジャズしかやってない。演歌とか歌謡曲は全然聴かないからね。」

ーー米軍基地で鍛えられた後は?

「当時、自由が丘にファイブ・スポットっていうお店があったんだよ。そこに、いそのてるおっていう名司会者がいて。そこでお世話になってた。そこにはいろんなやつが来てて、菊池雅章の弟とか渡辺香津美とかね。その時、彼らに楽器を教えてたんだよ。」

ーーベース以外の楽器もできたんですか?

「なんでもいじってたよね。そういった土台もあって、自分1人で作ったのが『SELF-PORTRAIT / 自画像』。ピアノからドラムから何もかも自分で全部やった。」

ーー今回取材させてもらう時に、過去の音源一生懸命集めたんですけど、『SELF-PORTRAIT / 自画像』が全然なくて。なので、YouTubeにアップされていたダイジェスト版を聴いたら、なんだこの音楽は!って思ったんです。なんて言っていいかわからないんですけど、これは今聴いてもすごいぞと。

「そうそうそう!あれはもうどこにも売ってないでしょ?」

ーー売ってないんですよ。僕が今31歳なんですけど、ジャズに興味があるこれくらいの世代の人ってたくさんいると思うんです。でも、なかなか入って行きづらいジャンルでもあるんですよね。そんな人に、勲さんの『SELF-PORTRAIT / 自画像』を聴いてほしいって思ったんです。ジャズでもあるんだけど、どこか超越してるというか。

「そうだね。自画像をでしょ?」

ーーそうです。あと『BLOW UP』の1曲目の「Aqua Marine」なんかも『SELF-PORTRAIT / 自画像』に入っていてもおかしくない楽曲だなと思って。

「そうそう。だからジャズっていうのは、「Aqua Marine」みたいな曲があり、スタンダードがあり、ボサノバあり、そういうCDを作ったんだよ。それが当たったんだよ。あと『BLOW UP』の録音は全部俺がやったんだよ。マイクすべてにどれだけ音が入るかチェックして。そんなにレッドゾーンいったら針が飛んじゃうからって言われたんだけど、「いやいや、大丈夫大丈夫」って言って。結局プレスすると段々落ちるんですよ。それでちょうどよくて。アメリカにいる時、ジャズレコーディングエンジニアの第一人者、ルディ・ヴァン・ゲルダーと知り合って、彼の仕事を見ながら研究したんだよ。それであれがめちゃくちゃ売れたんだよね。」

ーーそれは、どのくらいのレベルなんですか?

「LPだけで、30万枚くらい売れてるんだよ。ジャズでは、1万枚売れれば大ヒットだった時にね。『BLOW UP』以降は、10万単位で売れてったかな。でも普通に聴く人とは別に、オーディオ機器関連の人が『BLOW UP』のLPを機器の試験用に使ってくれてたから、大当たりしちゃった(笑)。まあもちろん中身も良かったけどね。今回出してる『入魂の“アヴェ・マリア”』なんてすごい売れてる。」

ーー『入魂の“アヴェ・マリア”』を聴いて、初めて自分が楽器を意識した時のことを思い出したんですよ。

「なんの楽器?」

ーーフルートです。中学1年生の時に部活動紹介ってのがあって、吹奏楽部の紹介の時に1つ1つの楽器を鳴らしていくんですよ。それでフルートの音を聴いた時に、青いながら「なんて綺麗な音色なんだ」って感動しちゃって。今回のアルバムを聴いて、1曲目の冒頭から勲さんのソロで始まるんですけど、ベースの音が見えるというか、弦の震える感じや指使いまで見えてくる感じもあって。個人的ですが楽器の原体験を20年越しに再び味わった作品でした。

「僕の楽器はまた独特なんですよ。世界中で1本しかない。特注で作ってるから。アメリカでアート・ブレイキーのバンドでやっていた頃に使っていたチェロなんだけど、チェロって4本弦でしょ? そのチェロにダブル弦を付けて、全部で7本弦にして使ってたんだよ。それとベース両方やっていた。」

1969年から1970年まで滞在していたニューヨークで使用していたチェロ。当時一緒にプレイしたミュージシャンのサインが書かれている。中には、チャールズ・ミンガスのサインも。

ーー今使われてるのがそれではないですよね?

「今使ってるベースはまた違う。それも特注。弦を外してチェロの弦にしたらチェロになるわけ。カッチーニの「アヴェ・マリア」って楽曲があるでしょ? それは、そのベースにチェロの弦を張ってるわけ。だからあれだけキューって音が出せる。人を泣かせるためには、チェロの弦の方がいいと思って変えたんだよ。」

ーー自分が初めて勲さんを見たWWWで使われてたのが今使われてるベースですか?

「そうそうそう。40年くらい使ってるんじゃないかな。あの楽器は持ち運びしやすい。大きいの大変じゃないですか。海外へ行って楽器を用意してくれるのはいいけど、ひどいのがきたらさ、一生懸命やろうとしてもやっぱりいい音は出ないんだよね。だから絶対にあの楽器を持っていけば大丈夫。どこ行くにもね。自分で設計して作ったんだよね。」

ーー自分で設計から入ったんですか?

「そうそう(笑)、イタリアの木を材料にしてね。材料買うのにだいたい150万円くらい。一回目全部ベースの形を作って糊でくっつけて弦を張って鳴らそうと思っても全然鳴らないの。だからそれを壊して、壊したらもうダメだからまた材料を集めて。3回目ですよ、それだけで400万円くらいいっちゃう。」

ーーそれをやったのは自分だけの音を持ちたいからっていう。

そう、もちろん! どこにもないやつが欲しいんだよ。そういえば、イタリアからオファーのメールが来てたんだよね。あ、イタリアじゃないイングランドだ(笑)。なんかコンサートやるみたい。それで僕と僕の好きな日本のプレーヤーを連れてきてくれって。」

ーー若い方にもすごい教育されてるんですよね?

「小沼ようすけだってそうだし、井上銘だってそうだし。ギターが多いんだよね。ギターと2人でやるのが好きなんだよね。やっぱり音楽的にギターとベースって同じ弦楽器だし合うんですよ。だからすごくよくお互いが活きるというか。サックスがバーンとやったら死んじゃうでしょ?ちゃんとわかってるやつが吹くならわかるけど。なんもわからないやつが楽器をバーンって演奏しても音は活きてないじゃない。ただ勝手に楽器をやってるだけだから。そういうやつとは俺はやらないよ。」

ーーサックスというと纐纈雅代(こうけつ まさよ)さんともアルバムを出されてましたよね?

「纐纈も俺が教えたんだよ。うちのバンドだよ。俺がやってるスクール的な活動のOMA SOUNDから、たくさんの子が勉強して出ていったよ。たくさんの人を見てきたけど、一緒にやっててダメな子はダメだね。」

ーー何が違うんですか?

「やっぱり最初から耳が悪いというか、自分のことしか考えてない。4人でやったら4人の全部聴かなきゃね。自分はどこで活きるかっていうか。変なことやったら全部が死んじゃうからさ。そういうことがわかってないんだよな。」

ーーいわゆる若い人たちって勲さんが楽器をやり始めたころよりも音楽に触れる機会ってあったと思うんですよ。でも、勲さんがベースを始めた19歳って、今で考えると音楽活動を始めるのには遅い方に入るじゃないですか? それでも勲さんは、オリジナリティーもあるしトップを走り続けてる。若い人たちって環境的には恵まれているはずなのに、なぜなのでしょうか?

「やっぱり僕とは考え方が違うんじゃないかな。何がなんでもうまくなってやるって思ってないんだよ。あと自分がうまくなるんじゃなくて、一緒にみんなでやった時に、いかにいいことができるか、またはみんなを聴けるか、その耳があるか。それで全然違うわけ。バックはこういうバックしたいんだから、俺はそのバックを活かしながら自分が活きるっていう、それを瞬間に感知する。瞬間よ、瞬間にわかってなきゃ。そういうプレーヤーが少なすぎる。海外は昔からそういうプレーヤーが多かったよ。名前が売れてても進化しなきゃ、昔と同じじゃ海外で誰も相手にしないよ。1人で行ってごらんなさいよ。誰が一緒にやってくれるの。日本からお金持って一緒にやってくださいなんて誰だってやるさ。でしょ? そういうのがいっぱい居たらダメなんだよ。本当に実力がなきゃ。外国人が見てもすごいなって思わせるプレイをしなきゃ。でもだいぶ増えてきたと思うんだ、昔からみてね。」

ーー今回の『入魂の“アヴェ・マリア”』のメンバーセレクトは、勲さんのなかで面白いと思った人たちですよね?

「そう、俺が面白いと思ったメンバーで組んだんだ。ちょっとリズムが1拍ずれる、1秒の何分の1かがずれただけで気持ちが通じない 」

ーー僕のジャズのイメージの1つが最後の「紫式部」なんです。フリー・ジャズなので聴くのが難しくあったりもするんですけど、それが、ある瞬間に音楽的に噛み合って。そして感動するんですよね。あの曲はどういったイメージで作られたのですか?

「そうそうそう、それがなきゃダメ! ただ長いだけでガラガラやって終わりじゃさ、何にもならないでしょ? 「紫式部」っていうのはどんな女だったかは知らないけど、あれだけ名前が売れてるんだから相当男っぽかったんじゃないかって思うわけよ(笑)。だからああいう曲作ってみたんだよ。どフリーなめちゃくちゃな感じ。このアルバムは、3段階に分けてるんだよ。しんみりと泣かせたいなって思うようなバラード、スタンダード、それからフリー。 この3段階を同時に1つのアルバムに入れようと思ってうまく組み合わせたの。だから飽きない作品になったよ。」

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