2019.10.10

【証言で綴る日本のジャズ】杉田誠一〈第1話〉 地元ジャズ喫茶で説教「10年早い」

インタビュー・文/小川隆夫 撮影/平野 明

杉田誠一/第1話

連載インタビュー「証言で綴る日本のジャズ」 はじめに

ジャズ・ジャーナリストの小川隆夫が「日本のジャズ黎明期を支えた偉人たち」を追うインタビュー・シリーズ。今回登場するのは、音楽評論家・フォトグラファーの杉田誠一。1970年代に『JAZZ』誌の編集長も務めた同氏が、当時の“ジャズの現場”を、半生とともに振り返る。

杉田誠一/すぎた せいいち
音楽評論家、フォトグラファー、カフェ・バー経営者。1945年4月15日、新潟県新発田市生まれ。高校のころからジャズに興味を持つ。大学時代にジャズ喫茶「オレオ」でアルバイトをしながら、同人誌『OUR JAZZ』で評論活動を始める。一方で脚本の執筆も開始。69年の『OUR JAZZ』廃刊を機に、雑誌『JAZZ』の編集長に就任。同年、初渡米し、このころからフォトグラファーとしての活動も始める。ジャズをはじめとした黒人文化全般にわたる深い洞察によって、『JAZZ』は既存のジャズ雑誌とは一線を画した内容で、ジャンルを超えたひとびとから支持される。10年ほどで休刊して以降は、単行本や雑誌の編集、執筆などを継続。99年『Out There』創刊。2006年に神奈川県横浜市白楽でライヴが聴けるカフェ・バー「Bitches Brew For hipsters only」を開店し、現在にいたる。著書に、写真集『ジャズ幻視行』(アン・エンタープライズ)、『ジャズ&ジャズ』(講談社)、『ぼくのジャズ感情旅行』(荒地出版社)他。

転勤族で各地を転々とした少年時代

——生まれた場所と生年月日から教えてください。

1945年の4月15日生まれです。生まれた場所は、本来なら東京ですが、空襲がすごくて、母親が遠い親戚を頼って、新潟まで疎開するんです。そこで生まれました。新潟の新発田です。

——そこで生まれて、家は東京にあったんですね。

そうです。

——東京のどこに?

大田区です。

——家は大丈夫だったんですか?

焼けてないです。45年というのは、戦争に負けた年です。それが落ち着いて、たぶん次の年ぐらいに東京に戻ってきました。それこそ引き上げとかいろいろあって、東京に戻るのもたいへんだったらしいです。荷物なんか、送ったって、みんな盗られて、なんにもない。行李だけは届いたけど、中身が空っぽ(笑)。

——それで、東京に戻られた。

そこから幼稚園までは東京。東京の最後は大森の入新井というところ。

——最後というのは?

幼稚園の最終年度、6歳かな? 親父は戦後、東芝にいたんです。もう亡くなっちゃいましたけど。お袋はまだ健在で、いま、ふたりで暮らしています。幼稚園から先は、いわゆるサラリーマンの転勤族です。こっちに戻ってくる最後が広島。中学の2年まで広島にいました。

——その前にいくつか転々として。

広島に行ったのが小学校の5年生。転勤の最後の場所が広島。それから、こっちに戻ってきて、本社勤務になる。

——東京に戻ってきたときは、どこに住んでいたんですか?

最初は社宅だったけれど、「もう家を建ててもいいだろう」という話になって、いまの実家が横浜にあるわけです。そこに、母親と住んでいます。

——じゃあ、横浜はずいぶん長い。

長いけど、うちを出たのがわりと早かったから。何十年ぶりかで、戻って。

グレン・ミラーがジャズの入口

——最初に聴いた音楽で覚えているのは?

やっぱり、美空ひばり(注1)かなぁ? ラジオが中心ですけど、いろんな音楽を聴きました。『君の名は』(注2)なんか、お袋とラジオの前で正座して、聞いてましたから(笑)。岸惠子(注3)さんが近所に住んでいて、ときどきぼくが行くうなぎ屋で会うんです。顔見知りになって(笑)。それで、市川崑の『おとうと』とかいろいろな映画の話をするの。

(注1)美空ひばり(歌手、役者 1937~89年)8歳で初舞台。49年『のど自慢狂時代』でブギウギを歌う少女として映画初出演。同年に〈河童ブギウギ〉でレコード・デビュー。52年女性として初めて「歌舞伎座」の舞台に立ち、同年、映画『リンゴ園の少女』の主題歌〈リンゴ追分〉が当時最高の売り上げを記録(70万枚)。この前後から歌手および銀幕のスターとして人気を確立した。

(注2)北沢彪と阿里道子の主演で、52年から54年にNHKラジオで放送されたドラマ。作詞=菊田一夫、作曲=古関裕而、歌=高柳二葉の主題歌〈君の名は〉もヒット。53年には岸惠子の主演で映画化され(3部作)、こちらも53年度の配給収入ランキングで1位(第2部)と2位(第1部)を独占。

(注3)岸惠子(女優、文筆家 1932年~)51年に松竹映画『我が家は楽し』でデビュー。53年から54年にかけて、主演した映画『君の名は』3部作が大ヒット。ストールの巻き方が、岸演じる主人公の名前から「真知子巻き」と呼ばれ、大流行。57年フランス人の映画監督イヴ・シャンピと結婚。パリに居を構えていたが、2000年に帰国し、現在も女優業と文筆業で活躍。

——杉田さんは映画もプロだから、いいじゃないですか。それで、美空ひばりは小学校のときでしょ。音楽が好きな少年だったんですか?

ていうか、自然に入ってきちゃうよね。あの時代は、街中(まちなか)でよく歌が流れていて、言葉がわからないのに、洋楽も歌ってた。美空ひばりは世代が近いから、いちばん最初に意識した歌い手じゃないですか? ただし、それも〈東京キッド〉とかね。あれは、ちょっと洋楽っぽいから。それから、ポップスとかジャズとかも一緒くたに巷に流れていました。周りの環境に音楽がありましたから。

——杉田さんが、「これはいいな」と最初に意識した音楽は?

それはね、ほんとに意識して、ミュージシャンになろうかと思ったのは、映画の『グレン・ミラー物語』(注4)です。

(注4)グレン・ミラー(tb)の半生を、アンソニー・マンが監督、ジェームズ・ステュアートとジューン・アリソンが主演で描いた54年公開のアメリカ映画。

——それはいつごろ?

小学校3年生ぐらいです。あれは、すごかった。満席で、椅子に座れないから、床に座って観てるの。それで、子供ながらに、口説くときは電話番号をよく覚えておいて、なんて、マセてる(笑)。

——グレン・ミラー(tb)の音楽がよかった。

というか、映像の力もあるんです。でも、やっぱりジャズを意識した最初はグレン・ミラーかな?

——『ベニイ・グッドマン物語』(注5)や『五つの銅貨』(注6)も、観てますよね。

『五つの銅貨』は中学のときですね。こっちに戻ったあとに観たから。

(注5)56年公開の米ユニバーサル映画。監督=ヴァレンタイン・デイヴィース、出演=スティーヴ・アレン、ドナ・リード。

(注6)実在のコルネット奏者レッド・ニコルズの半生を描いた59年公開のアメリカ映画。監督=メルヴィル・シェイヴルソン、出演=ダニー・ケイ、バーバラ・ベル・ゲデス、ルイ・アームストロング。

——それで、ミュージシャンになろうと思った。楽器はやったんですか?

ピアノは習ったけど、先生がすごくキツイひとで、鉛筆で突っつくんだよね。「悪いお指はどれかな?」なんていって、「チクチク」とかいわれて。それで嫌になって、挫折しました(笑)。

——いくつぐらいのとき?

小学校の下級生のときに、2、3年、習ってました。

——グレン・ミラーもジャズですけど、いわゆるモダン・ジャズとか、そっちが気になったのはいつごろから?

意識するようになったのは、高校になってかな?

——その前にも、少しは聴いていた?

ジャンルにこだわらないで、洋楽とか、ポップスとかも聴いていましたから。

——音楽は好きなほうだった。

そう。だけど、うちは堅い家で、クラシックしか聴かなかった。その反発みたいなものがあって、中学時代に夢中になったのはプレスリー(注7)とか。いちばん最初に買ったドーナツ盤がプレスリーですから。ぼく、ちょっと変わってて、最初に買ったのが〈サレンダー〉(笑)。

(注7)エルヴィス・プレスリー(ロック・シンガー、俳優 1935 ~77年)「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれ、ロックの原型を作ったアメリカのシンガー。全世界の総レコード・カセット・CDなどの売り上げは6億枚以上。56年に〈ハートブレイク・ホテル〉〈アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラヴ・ユー 〉〈冷たくしないで〉〈ハウンド・ドッグ〉〈ラヴ・ミー・テンダー〉で連続全米1位を記録し、以後もヒット曲を多数残す。

——シングル盤になっていたんですか?

そう。ああいうのを、買って、聴いて。あそこの口説き方が好きでね。自分が、口説かれているみたいで(笑)。

——その時点で、内容で買ったんですか?

いや、そのフレーズで。だから、みんなが騒いでいたのとは、とらえ方がちょっと違うんだよね。

——杉田さんらしいといえば杉田さんらしい。

「アメリカ文化センター」が出発点

——そういう時期があって。

中学時代はなんでも聴いてました。ジャズを意識し出したのは高校時代です。なんでかっていうと、FEN(注8)とかはラジオで聴きっぱなしだったけれど、FENじゃなくて、芝に「アメリカ文化センター」というのがあって、そこに通い出したんです。

(注8)45年9月に開局した在日米軍向けのAMラジオ放送。当初はWVTRと呼ばれ、その後はFEN(Far East Network)の名で親しまれ、97年からはAFNに改称。

——それはどうして?

レコードを貸してくれるんです。それで、ブルーノートのレコードなんかが完璧に揃っている。ジャズ喫茶に行くより、よっぽどいいなと思って。そんなにいいオーディオは持っていなかったけれど、すごいのを持っている友だちがいたから、そいつのプレイヤーだけ写真に撮って、その写真を持って、書類を出すと、5枚まで借りられる。あとは、催し物をでっち上げて。そうすると、10枚とか20枚とか、貸してくれるんです。

——レコード・コンサートとかをやることにして。

ほんとうにやったこともあるけど。あのころのあそこは面白くて、反体制のものも平等にきちんと、本なんかも置いてあるんです。日本語じゃないけど、黒人解放関係の本。それを読み漁って。

——そこらへんが杉田さんの原点。

そう。ジャズの本もあって。『ブルースの魂』(注9)も原書で読みました。

(注9)リロイ・ジョーンズが63年に出版したアフロ・アメリカン音楽についての著書。

——それが高校生のころ。

高校生だったから、そういうのに夢中になったんでしょう。あそこは、「アメリカって国は自由なんだ」というイメージを植えつけようとしていたプロパガンダ施設。だから、そういうものを揃えていた。

——それにはまったんだ。

だから、「アメリカ文化センター」は、アメリカを代表する文化としてジャズを認めていたんです。

——それで、レコードが揃っていた。

あのころって、売ってないじゃないですか。あっても高いし。ジャズ喫茶に行くのは、ぼくの場合、「ちぐさ」が最初でね。

——家が横浜だったし。

そうです。高校1年のときです。そのころ、ATG(注10)ができるんです。それを、学校をさぼって観に行きました。『尼僧ヨアンナ』(注11)だったかな? 難しい映画でねぇ。

(注10)日本アート・シアター・ギルドのこと。61年から80年代にかけて、非商業主義的な芸術作品を製作・配給した映画会社。

(注11)監督=イェジー・カワレロウィッチ、主演=ルチーナ・ヴィンニッカとミエチスワフ・ウォイトで、62年に日本で公開されたポーランド映画。

——新宿まで行ったんですか?

ATGは横浜にもあったんです。「相鉄文化」という映画館がATGで。それが第1回目の映画です。それを、学校をさぼって、それも制服で行って。帰りに寄ったのが「ちぐさ」ですよ。

その時点で、ぼくは『スイングジャーナル』(注12)を取っていたし、横浜だと洋書を売っている店とかスタンドとかがいくつもあって、『ダウンビート』(注13)とかが買えたんです。だから『スイングジャーナル』と『ダウンビート』は高校のときから読んでいたの。

(注12)47年から2010年まで発刊された日本のジャズ専門月刊誌。

(注13)34年にシカゴで創刊されたジャズの専門雑誌。当初は月2回発行されていたが現在は月刊。5つ星を最高点としたディスク・レヴューに定評がある。

『尼僧ヨアンナ』のATGのプログラムってかっこいいでしょ。シナリオがぜんぶ載っているし。そんなのを見ながら、「ちぐさ」に行って。真っ昼間だけど、満席なんだよね。とにかくきったない店で。コの字に、プレイヤーに向かって椅子がある。ぼくは入口の、『親父』が立っているところの前しか空いていないから、そこに座ったの。

それで、ぼくの反対側から、ひとりずつ親父が「リクエストないか?」って聞いていく。偉そうに、「リクエストないの?」ですから。「なんだろう、この親父」とか、思っていたけど(笑)。「おかしいんじゃないの、こいつら」ですよ。

それで、ぼくのところに回ってくる。「なににしようかな?」。いろいろ考えて、「ジョン・コルトレーン(ts)のなにかにしよう」と。それで、いよいよ来たわけ。「リクエスト、あるの?」「それじゃ、コルトレーンの……」といったら、ほんとに親父が激怒し出して、「10年早い」。みんながいるのに30分以上お説教されちゃった(笑)。みんな笑っているんだよね。みんなの耳がこっちに傾いていて、レコードを聴くどころじゃない。

「だいたい、ジャズの歴史を知っているのか?」から始まって、「ビバップってなんだ? いってみろ」とか。「いやぁ、ビバップって、あれですよね。モダン・ジャズのハシリですよね」とか、いって。「いちおう知ってるのか。じゃあ、ミントンズ・プレイハウス、わかってるんだな。じゃ、ビバップのバップってなんだ?」。こう、きたんですね。「なんなんですかね?」「そんなこともわかんないのか」なんて、いわれて。そうしたら、みんなが真剣になっちゃって。「あれはねえ、ビールを飲んだときのゲップだよ。ウッて。それをバップっていうんだ。まあ、ジャズなんて、ビールを飲んだときのゲップみたいなもんだよ」って、偉そうだったのが、急にこうなっちゃった。こっちは、笑っていいんだか、笑っちゃいけないんだか、わからなくなって、ねぇ(笑)。そのときは、真剣な顔をして、「わかりました」といったんですけど。

——それが、初めて行ったとき。

そうなんです。それで、親父がトイレに行ったの。そうしたら、となりのひとが、「ここは、コルトレーンとか、そういう系列のことをいうと、必ず怒りますから、やめたほうがいいですよ」「なにをかけて、といえばいいんですか?」「あのひとは、ビル・エヴァンス(p)といえば、喜びますから」。ビル・エヴァンスっていわせたいわけよ。そのときに限って、誰もいわなかったから。それから、ぼくは、あそこでリクエストなんか、したことがないの。

——それでも、「ちぐさ」には、よく行ってらした。

行ってました。それから「ダウンビート」にも。

第2話(10月17日 公開予定)に続く