投稿日 : 2020.06.26 更新日 : 2021.08.31

【ビバップを創生した巨人】モダン・ジャズの父 チャーリー・パーカー

チャーリーパーカー

チャーリー・パーカー(1920~1955)はアメリカ合衆国のアルト・サックス奏者・作曲家。ジャズミュージシャンとして1940年代を中心に活躍し、モダン・ジャズの礎となる「ビバップ」という演奏スタイルを創生したプレイヤーのひとり。「バード」の愛称とともに、現在でも多くのミュージシャンから尊敬をあつめ、ジャズの歴史上最大の偉人とも言われる音楽家です。

チャーリー・パーカーの生い立ちと生涯

チャーリー・パーカーは、1920年に米カンザス州カンザスシティで生まれました。当時のカンザスシティは、合衆国有数のジャズが盛んな街で、彼は自然と音楽へと傾倒。独学で楽器演奏をマスターし、15歳の頃にはプロのミュージシャンたちとセッションを重ねるようになります。

その当時、ジャズは「スウィング」という演奏スタイルが大流行中。現在のポップスと同じように、広く大衆に親しまれていました。このスウィング・ジャズは、ビッグバンド(管楽器を主体とした15名以上のオーケストラ)で奏でられ、軽快なダンスミュージックとして隆盛。若き日のチャーリー・パーカーも、そんな楽団員のひとりとして演奏の腕を磨きます。

スイングジャズからビバップへ

ジャズの演奏は、時代ごとにさまざまなスタイルを経て、現在も進化し続けています。若き日のチャーリー・パーカーも、そんな変化の狭間にいました。そして、まさに彼自身が「新しいジャズ」の中心人物として、脚光を浴びることになります。

1930年代当時、流行中のスウィング・ジャズは、ダンス音楽として(踊る客の)ニーズに応えるために、さまざまな制約がありました。「楽譜の音符に従って演奏する」ことも、その一つです。ところがパーカーは、この制約から脱却しようとします。彼は楽譜のコード進行に添いながらも、多彩なフレーズを即興的に繰り出し、ときにはコードから華麗に脱線してみせ、演奏者の瞬時のひらめきや個性を表現するジャズを目指したのです。

こうした演奏はのちに「ビバップ」と呼ばれ、以降のジャズの発展に多大な影響を与えました。

麻薬とともに歩んだ破滅的人生

新しいジャズ「ビバップ」。その中心人物のひとりとして、チャーリー・パーカーの知名度は急上昇。天才的なアドリブ奏法によって、当時のジャズシーンを牽引します。しかしその一方で、重度の麻薬中毒とアルコール依存に苦しむ姿もありました。

そのせいか、ライブやレコーディングの遅刻はおろか無断欠席することも。さらに異常な行動も目立つようになり、精神病院への入退院も繰り返します。ただし、ひとたび楽器を手にすると「人が変わったように演奏した」という伝説も語り継がれています。

そんなパーカーも、麻薬とアルコールを断つことができず、心身ともに健康を損ねていきます。そして1955年5月9日、心不全のため34歳で死去。彼が亡くなった直後、ニューヨークでは偉大な音楽家の死を悼み、「バードは生きている」と記された落書きが街のいたるところで見られたといいます。

チャーリーパーカーの名演

生誕100年で蘇る“サヴォイ音源”

チャーリー・パーカーが録音を残したのは、1940年代前半から1954年にかけて。その間およそ10年。キャリア初期の録音物では、「サヴォイ」と「ダイアル」という二つの音楽レーベルからリリースされたものが有名です。2020年にはチャーリー・パーカーの生誕100年を祝して、サヴォイ・レーベルの音源をリマスタリングした作品集がリリースされ、好評を博しています。

晩年のヴァーヴ(Verve)録音も秀逸

一方、晩年の作品では、トランペット奏者のディジー・ガレスピーとの共演盤『Bird and Diz』(1950年)や、『Now’s The Time: The Genius Of Charlie Parker #3』(1952年)などが、名作として高く評価されています。

語り継がれるチャーリー・パーカーの伝説と逸話

チャーリー・パーカーには数多くの伝説や逸話が残されています。例えば、演奏中に居眠りを始めたチャーリー・パーカーは、自分のパートになると何事もなかったように起き上がり、誰も真似できない高度な即興演奏をして聴衆を驚かせたとか。

また、チャーリー・パーカーの愛称「バード」の由来にも諸説あるようで、彼の演奏が「羽ばたく鳥のように自由で華麗だった」ため、その名がついた。さらに、こんな説も。生活に困窮していた彼がレストランで皿洗いの仕事をしていた頃、いつもお腹いっぱいにチキン(Bird)を食べ、レストランの裏庭(Yard)で練習に励む姿から「ヤードバード(Yardbird)」と呼ばれていた。これがいつしかバードになった。

他にもいくつか説があるようですが、少なくとも本人はこの愛称を気に入っていたようで、自作曲に「Yardbird Suite」や「Bird Feathers」といったタイトルをつけています。これらの曲は今でも多くのミュージシャンによってカバーされており、バードの偉大さが伺えます。

死後もなお愛され続けるチャーリー・パーカー

そんな彼の人物像は、伝記映画『BIRD(バード)』(1988年)で垣間見ることができます。本作は、当時の文化や社会情勢のなかで、彼がミュージシャンとしていかに生きたかを克明に描いています。監督・製作を務めたクリント・イーストウッドは、ジャズ好きとしても知られる名優。チャーリー・パーカー役を演じたフォレスト・ウィテカーは、本作でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞。

さらに、チャーリー・パーカーの生誕100年にあたる2020年は、「Bird 100」と称したさまざまなイベントや、音楽作品の復刻、舞台作品の上演などが実施されているようです。

●チャーリー・パーカーを題材にしたオペラ『Charlie Parker’s Yardbird』

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