投稿日 : 2016.05.17 更新日 : 2020.11.25

【東京・自由が丘/Jazz Theatre 】1910~1940年代のJAZZを当時の蓄音機で聴ける店

良い音楽で、よい時を #06

 よりよい環境で音楽を聴くために、こだわって作られたミュージックバーやジャズ喫茶などを紹介する本特集。今回は東京の自由が丘にある隠れ家的なお店『Jazz Theatre(ジャズテアトル)』を訪問した。2015年10月にオープンと歴史は浅いが、祖父の代から受け継ぐ膨大なジャズコレクションを幼少期から愛聴してきたマスターだけに、知識が豊富なだけでなく、ジャズへの愛着もひとしお。では早速、音楽と真摯に向き合う時間に利用したい、不思議な空間とマスターの魅力を紹介しよう。

いい状態で再生したいから蓄音機を使っているだけなんです

 自由が丘駅の正面口を出て右折、東急東横線沿いを歩くと細長く続くビル(自由が丘ひかり街)が見えてくる。そこは一歩足を踏み込むと昔ながらのショッピングアーケードになっており、昭和を彷彿とさせる佇まいを見せる。こんな場所にジャズバーが? と半信半疑な気持ちで3階まで上がると、お目当ての『Jazz Theatre』の看板はあった。ちょっぴり緊張しながらドアを開けると、スーツの着こなしもスマートな優しい表情のマスターが出迎えてくれる。カウンターとテーブル合わせて12席と小さな店内に入ると、まず目を引くのは年代物のHMV163蓄音機だ。

「当時のソフトを聴くには、当時の機器を使うのが一番合うんです。古いもの好きとか、ヴィンテージありきとかではなく、いい状態で再生したいから蓄音機を使っているだけなんです。聴いていただければわかりますが、あまりにも音楽がストレートに入ってくるので、聴いていて辛くなってしまうことがあるほど。ですから、本を読みながらなど『ながら聴き』はできないですね。バーとしては致命的かもしれませんが、お客さまの会話を邪魔するサウンドなんです(笑)」

祖父の代からジャズを愛聴しているこの店のオーナーの家で、代々受け継がれている1920年代の英国製蓄音機「HMV163」。『Jazz Theatre』では管楽器の音に合うようにと常に鉄製の針を使用している。
父親が経営していた店でも使われていた、今はなき佐藤精密工業のレコードプレイヤー。自らメンテナンスをしながら使用している。アンプはALTEC社製真空管アンプを使用。

ジャズは黒人たちの痛みの音楽であり、闘いの音楽

 蓄音機とは、巻き上げた重りやぜんまいを動力としてレコードを再生する機器のこと。電気仕掛けではないので、音量調整をすることはできない。また、日本では蓄音機用のレコードをSP盤と言うが、世界的にはシェラックと呼ばれる。針はさまざまな材質があるが、もっとも一般的な鉄製のものは管楽器と相性が良く、竹針はバイオリンなど木製の楽器に合うとも。そして何より興味深いのは、古くから蓄音機でのプレイは『再生』ではなく『演奏』と呼ばれることだ。それは、オーディオの世界で語られる臨場感とは別次元の、マイクを使わずに記録された音源を、電気を使わずに再生することで生まれる独特な臨場感から出てきた言葉だ。そのサウンドはセピア色のライブ会場に迷い込んだかのような感覚を呼び起こす。ゆえに『Jazz Theatre』でも、蓄音機での演奏が終わると店内には拍手が鳴るのだとか。ここはジャズバーというよりも、ジャズと蓄音機の魅力がわかるワークショップを毎晩開催している社交場ともいえる。

「うちでは、より直接的なエネルギーを感じる1910~1940年代のニューオリンズやビバップ、クールジャズが中心。ですから、一般の方がジャズという言葉から連想されるオシャレなものはかからないんです。そもそもジャズは優しい音楽ではないですしね。黒人たちの痛みの音楽であり、闘いの音楽なんです。でも、誤解されたくないのは私はあらゆる時代のジャズはもちろん、パフュームなど最近の音楽も大好き。頑固オヤジみたいに思われるのはイヤですが、あまりにもジャズのイメージが偏っていることに疑問を持っていて…」

 マスターである井上庄太郎さんの経歴を聞けば、心を癒してくれるおしゃれな音楽かのようにジャズが認識されていることへの憤りも理解できるだろう。じつは、井上さんの家庭は祖父の代からのジャズ好き、しかもお父さまはかつてジャズ通の間で知られたバーを経営されていた。物心ついたときから父の部屋に忍び込んではジャズコレクションを聴き、子ども部屋にはエリック・ドルフィーやマイルス・デイビスのポスターが貼られ、小学校でバンク・ジョンソン、中学でチャーリー・パーカーやソニー・ロリンズに傾倒。学校の研究発表ではジャズの歴史を同級生たちに向けて語るという稀有な思春期を過ごしてきた。

「私にとってジャズは特別なものではなく身近な音楽だったんです」

家に保管されていた1950年代からの『スイングジャーナル』誌を読み漁るなど、ジャズが生まれた背景や歴史を熟知しているからこそ「ジャズは闘いの音楽である」という大前提を有しているのだ。

この機会に復刻盤と聴き比べしませんか?

 その後、大学を卒業して都内有名ホテルに入社。レストランやバーで、ソムリエとしてまたバーテンダーとして働いた。ホテルのバーでは、宿泊しているジャズプレイヤーが閉店後に練習することが多々あり、そこでの出会いも貴重な経験になったという。また、とある縁により、NHK FMにおいてジャズに関する番組作りにも協力してきた。レコード音源でジャズを紹介する先駆的な番組で、解説と選曲、音源提供を担当。家の倉庫には祖父の代から続く膨大なコレクションがあり、そのラインナップは公共放送が目をつけるほどなのだ。

「ジャズの店は飲み物がイマイチと言われますが、ホテルでの経験はいまに活かせているかもしれませんね。お酒の知識はもちろん、各国の文化を知ることもできましたから」

『Jazz Theatre』が飲み物で力を入れているのがポートワイン。ときにポルトガルまで足を運び、貴重なボトルを持ち帰ってくることもある。熟成により甘みが穏やかになり、アルコールの風味も落ち着きバランスのとれた味わいになった一杯は、店内でかかる古いジャズのサウンドともマッチする。

「ルイ・アームストロング『West End Blues 』のオリジナル・シェラック(SP盤)がそろそろ寿命であと数回しか聴けないので、この機会に復刻盤と聴き比べしていかれませんか?」

年齢は違えど、その表情はとっておきの宝物を見せてくれる幼馴染みのよう。きっと毎晩こうやって楽しんでいるに違いない。井上さんは蓄音機の上蓋を開け、シェラックをセットし、針をつけ、ハンドルを回し始める。ルイ・アームストロングのトランペットは、驚くほど力強く、店内はいっきに1926年へとタイムスリップ。曲が終わってもその余韻は続いていった……。確かにこれではグループでわいわいというのは難しい。音楽好きの仲間と時間旅行に行く感覚で使いたいお店ともいえる。従来のイメージを覆す、古すぎて新しいジャズバー『Jazz Theatre』。ストリーミングでは決して得られない体験がここにはある。

ポートワインとは、ポルトガル北部で作られるブドウの甘さを閉じ込めたワイン。若く手軽なものから100年を超える熟成ワインまで『Jazz Theatre』ではさまざまなものが飲める。 左:BURMESTER COLHEITA(1944) 1977年に瓶詰めされた貴重な一本でありグラスでの提供はなし。値段は応相談。 中:BURMESTER RUBY(現行品) ポートワインの魅力を知るために、最初におすすめしたいひとつ。¥1,500 右:OFFLEY COLHEITA(1985) 市場に出回らずワイナリーから直接買い付けた、当たり年の一杯。¥4,500

※現在移転準備中のため閉店
・店舗名/Jazz Theatre -Vinho do Porto-

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