投稿日 : 2020.11.24

【スタン・ゲッツ】若きプレーヤーたちを率いて円熟のプレイを聴かせたテナー・ジャイアント ─ライブ盤で聴くモントルー Vol.26

文/二階堂尚

スタン・ゲッツ、ライブ盤で聴くモントルー

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

1940年代のビッグ・バンド・シーンから出発し、50年代にはクール・ジャズの、60年代にはジャズ・サイドにおけるボサノヴァの代表的プレーヤーとして人気を集めたスタン・ゲッツ。彼がリターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーとともにモントルーのステージに立ったのは1972年のことである。40代半ばの円熟期を迎えていたゲッツは、若きプレーヤーたちを率いて堂々たるプレイを聴かせたのだった。

完璧な演奏技術に支えられたリリシズム

2段組みで560ページに及ぶ大著『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』(ドナルド・L・マギン著)を訳した村上春樹は、高校生の頃に初めてスタン・ゲッツのレコードを買った時のことをあとがきで振り返っている。「レコードを繰り返し聴き込むことで、僕(当時は十六歳の少年)は全面的にスタン・ゲッツのファンになってしまった。スタン・ゲッツの吹くテナーの見事な音色と、そのアドリブの自由自在さにとことん魅せられてしまった」のだと。

「スタン・ゲッツは僕のヒーローになった。いや、ヒーローというのは正しい言葉ではない。彼は僕にとって夢のひとつの表象となったのだ。青春期の夢のひとつのかたちだ」

1940年代のビッグ・バンド・シーンから出発したスタン・ゲッツの代表作は50年代のクール・ジャズ期と60年代初期のボサノヴァ期に集中しているが、91年に肝臓がんで逝去するまで彼は演奏を続け、波は大いにあったにせよ、テナー・サックスの巨人としての人生をまっとうした。村上春樹の言葉をもう一つだけ。

「彼の音楽の神髄は『リリシズム』にあると思う。それもほとんど完璧な演奏技術に支えられ、勝手にどこかにぶれていったりすることのない、筋の通った『叙情精神』だ」

スタン・ゲッツ―音楽を生きる―の写真、 ドナルド・L・マギン、村上春樹
『スタン・ゲッツ―音楽を生きる―』 ドナルド・L・マギン/著 、村上春樹/訳、新潮社/刊 3,520円(税込)

チック・コリアとの出会い、別れ、再会

『ゲッツ/ジルベルト』を始めとするボサノヴァ・アルバム・シリーズの空前のヒットののちに次の方向性を探っていたスタン・ゲッツのバンドにチック・コリアが参加したのは1967年のことである。残された唯一のアルバムである『スウィート・レイン』は、ゲッツ本来の叙情性とブラジルのミュージシャンから吸収したラテン・フィーリングが同じ性向をもつチックの音楽性とシンクロした素晴らしい作品だった。チック作の曲が2曲入っているのも重要な点で、これがきっかけとなってゲッツは「チック・コリア作品集」と呼ぶべきアルバムをのちに録音することになる。

絶妙なタッグに見えた2人の関係が短期間で終わったのは、チックがゲッツの無軌道極まる生活に愛想を尽かしたからである。宿痾であった鬱の苦しみを紛らわすために大量の酒に溺れ、妻への虐待をくり返し、アルコール中毒更生施設と精神病院と拘置所を泊まり歩くような生活を続けていたこの時期のゲッツの様子は前掲書に詳しい。その乱脈ぶりは読み進めるのが苦痛になるほどで、前途への希望に溢れた若きピアニストがうんざりしたのも当然だった。

スタン・ゲッツの写真

2人が再会したのはそれからおよそ4年後の1971年の末である。ヨーロッパをツアーしていたゲッツは、ロンドンでチックとばったり会った。「コリアは今自分が作曲中のいくつかの曲について熱っぽく語り、一緒に演奏したいと考えている二人ばかりのニューヨークの素晴らしいミュージシャンについて語った」(前掲書)。2人のミュージシャンとは、20歳のベーシスト、スタンリー・クラークと、マイルス・デイヴィス・バンドにおけるチックの同僚であったパーカッショニスト/ドラマーのアイアート・モレイラである。

リターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーと

この2人を擁してチックは1972年2月、マイルス・バンドで習得したエレクトリック・ピアノを全面的にフィーチャーしたアルバムを録音する。それがフュージョン最大のベストセラーの一つとなった『リターン・トゥ・フォーエヴァー』である。名義はチックのソロであった。

翌月、チックは2人を連れてスタン・ゲッツとのリハーサルに臨んだ。しかし、伴奏者としてのモレイラに満足できなかったゲッツは、やはりかつてマイルス・バンドの一員であったトニー・ウイリアムスを呼び寄せ、クインテットとした。そうして録音されたアルバムが『キャプテン・マーヴェル』である。アルバムに収録された6曲中5曲がチックの作品で、チックのポップな作曲センスとゲッツのメロディアスなテナーがよく合っている。トニーとモレイラのリズム・タッグはなるほど強力で、ボサノヴァ期のアルバムがゲッツにとって「静」のラテン作だとすれば、『キャプテン・マーヴェル』は「動」のラテン作と言っていい。

『キャプテン・マーヴェル』のジャケット写真、 スタン・ゲッツ
『キャプテン・マーヴェル』 スタン・ゲッツ

さらにチックはその年の10月に、再び『リターン・トゥ・フォーエヴァー』のメンバーとスタジオ入りし、『キャプテン・マーヴェル』の収録曲を含む『ライト・アズ・ア・フェザー』を録音した。名義はチック・コリア&リターン・トゥ・フォーエヴァーとなっているが、現在では、リターン・トゥ・フォーエヴァーというバンドの第一作が『リターン・トゥ・フォーエヴァー』、第二作が『ライト・アズ・ア・フェザー』であるとおおむね見なされている。

40代半ばのスタン・ゲッツの雄姿

こうして見ると、1972年に録音された『リターン・トゥ・フォーエヴァー』『キャプテン・マーヴェル』『ライト・アズ・ア・フェザー』は3部作とすることも可能で、さらに、同年6月のモントルー・ジャズ・フェスティバルでの演奏を記録したライブ盤を加えて4部作とみてもいいかもしれない。スタン・ゲッツ・カルテットがモントルーのステージに立ったのは『キャプテン・マーヴェル』が録音された3カ月後だった。

バンドがカルテットとなったのはアイアート・モレイラが抜けたからで、太鼓が1人になったぶん、演奏は『キャプテン・マーヴェル』よりもタイトになっている。収録曲は、ビリー・ストレイホーンの「ラッシュ・ライフ」とベニー・ゴルソンの「クリフォードの思い出」を除いてすべてチックのオリジナル曲。チックのエレピとスタンリー・クラークが絡む場面にはリターン・トゥ・フォーエヴァーの面影があらわれているが、あの白昼夢のような抽象性が希薄なのは、ゲッツのスウィングの磁力が効いているからだろう。ゲッツのプレイはベストとは言い難いが、暖かな春の日の木漏れ日のようなあの音色はメンバーやフォーマットが変わっても不変である。

スタン・ゲッツが残した数ある名作の中にあって言及されることの稀な一枚だが、『キャプテン・マーヴェル』と並んで、50年代のクール・ジャズと70年代のフュージョンが交差するところに生まれた作品という歴史的価値は強調しておくべきだろう。YouTubeにこのステージの数曲の映像がアップされているのでぜひ見てほしい。ギリシアの彫刻のように屹立して前方を凝視しながらテナーを吹く45歳のゲッツの雄姿を確認することができる。

〈参考文献〉『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』ドナルド・L・マギン著/村上春樹訳(新潮社)


『ライヴ・アット・モントルー1972』のジャケット写真、 スタン・ゲッツ・カルテット

『ライヴ・アット・モントルー1972』
スタン・ゲッツ・カルテット

■1.Captain Marvel 2.Day Waves 3.Lush Life 4.Windows 5.I Remember Clifford 6.La Fiesta 7.Times Lie
■Stan Getz(ts)、Chick Corea(p)、Stanley Clarke(b)、Tony Williams(ds)
■第6回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1972年6月23日

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