投稿日 : 2017.05.09 更新日 : 2023.11.10

【小川隆夫 インタビュー】“衝撃的著作を連発”のジャズ・ジャーナリストに訊く

取材・文/楠元伸哉 撮影/天田 輔

小川隆夫 インタビュー

マイルスとの約束を果たすために

──そんな付き合いの中で、ある日突然、マイルスから問われますよね。「どうしてお前は俺を追いかけ回すんだ?」と。そのとき小川さんは改めて自分自身と向き合う、という場面が(著書『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのことーーマイルス・スピークス』に)あります。

僕はマイルスのことを書きたかったのは確かなんだけど、自伝を書こうなんて大それたこと思ってないわけ。ただマイルスのファンだから会いたい。たまたま連絡先とか教えてくれたし、会えるなら会いたいじゃない。その思いの方が最初は強かった。そもそも “会いたい” 以外の目的がないんだよ。記事にするためでもないし、誰かから依頼されてるわけでもない。ただ会いに行ってたの。

──マイルス自身も、小川さんはいい話し相手みたいな感じだったのでしょうか?

最初のうちは取材かと思ってたらしいんだ。でもカメラマンを連れて来るわけじゃないし。だから2回くらいまではそれでオッケーだったけど、回を重ねるうちに疑問に思ったんだろうね。なんの目的もありません、あなたに会いたくて来ました、なんて言えないから、とっさに「あなたに会ってあなたの話を聞いて、いつかそのことを書きたい」と正直に言ったの。すると彼は「ちゃんと書くなら話してやる。ただし、テープレコーダーは回すな」って。

──それはちょっと大変ですよね……。

最初のうちはメモを取ることさえ困難だったけど、だんだんマイルスの反応もわかってきて、ここまでは大丈夫だろう、って感じで少しずつ距離を縮めていくわけ。

でも話してることをその場で書くわけにはいかないから、マイルスが話し疲れて、他のことやり始めた時に少しまとめたり、トイレに行ってる時にわーっと書いたり。逆に僕がトイレに行って書いたりもした。あとはキーワードをわーっと書いて後でわかるようにしといて、マイルスの部屋から出たとたんにキーワードと記憶を頼りに、近くでまとめ直してた。

──その行動は、小川さんの「マイルスが好き」という気持ちが原動力になっていると思うのですが「音楽史における重要発言を後世に残す」という使命感みたいなものもあった?

そんなことは、まったく思ってない。結局、僕は自分の総括をしたかったわけ。マイルスが亡くなったとき、ものすごい喪失感だったのね。ジャズの仕事を辞めようかなって思うとこまでいっちゃって。少なくともマイルスの音楽が聞けない時期があった。

マイルスが亡くなったから今日はマイルスを聞いて夜を過ごします、って人はいっぱいいたけど、僕はまったく逆の反応で、自分でもびっくりしたんだけど、マイルスの音楽が聞けなくなっちゃった。で、原稿も書けなくなっちゃった。僕の中で時代が終わったというか、嫌になったんだろうね。書くのも聴くのも。

1か月くらい経ってもマイルスの喪失感は消えなかったんだけど、またジャズとかロックとかを聞いたり原稿を書くようになって、少しずつ社会復帰じゃないけど戻っていって、それで2~3年経ってからかな、マイルスの原稿とか頼まれて書いたりライナーノーツとかも書いたりしたけれど、前みたいにマイルスのことを無邪気に書けなくなってた。そんなときに『スイングジャーナル』で無期限の連載でやりませんか? って。

──それは、マイルスとの“あの濃密な日々”について書いてください、という依頼ですよね。

でも、細かいメモばっかりで、ちゃんとまとまってないんだよね……って言ったら「マイルスの話をメインに、いろんな人の証言を入れて、小川さんの思いとか考え方とかを入れて、マイルスのストーリーを作りませんか?」って言われて。あぁ、これがマイルスに言った『あなたのこと書きたいんです』になるな、と。そして、これを書けば僕の心のリハビリにもなるかな、と思って書き出した。

──隠れてメモを取った甲斐がありましたね。

いろんな人にいろんな話を聞いてるのも重要だったし、マイルスがあそこまでいろんなことを話してるってのもなかったし、結果としてそうなったけど、自分としてはそんなつもりで書いたわけじゃない。後に残そうとかそういうことじゃなくて、自分のために書いてたわけ。

──あくまでも自分のリハビリのために。

そう。リハビリと総括と、マイルスとの約束を果たすため。

──「本が完成したら50冊よこせ」って、マイルスに言われてたんですよね。

だからあの本ができた時にはマイルスのお墓に持っていったよ。それまではお墓の場所は知ってたけど行けなくて。やっぱり約束を果たさないとマイルスには会えないな…という思いだったから。本を持って「できましたよ」って行ったわけ。

──まあ、お墓に50冊置いて帰るわけにもいかないでしょうから(笑)、「ちゃんと約束は果たしましたよ」と報告したわけですね。

そう、それでようやく完結した。

──今後、着手する予定の書籍や、取材テーマはありますか?

さっきも話したけど、一昨年に刊行された『証言で綴る日本のジャズ』の続編というか、あの本に登場するジャズマンの、次の世代の人たちをじっくり取材したいですね。

──次の世代というと……。

日野(皓正)さんや山下(洋輔)さんの世代から、いちばん若くて渡辺香津美さんくらいの世代。つまり、60年代の半ばから70年代の終わり頃までの日本のジャズシーンはどうなっていたのか? を、きちんとやりたい。

──その世代の方でも、残念ながらお亡くなりになることはありますね。

今年2月に辛島文雄さんが亡くなって、僕の中でトップにいる人だったから、聞きたいことがたくさんあった。本当に残念です。

いま僕が66歳なんだけど、僕より少し上の世代で、面白い活躍をした人の人生を僕は個人的に知りたいし、彼らのストーリーを遺したいんです。同時に、そういう人たちの話によって、リアルに60~70年代のジャズシーンが見えてくると思うんですよ。そこは僕のライフワークのつもりでやってきたから、ぜひ続けたい。僕が元気な間はずっとね。

小川 隆夫/Takao Ogawa
1950年、東京生まれ。東京医科大学卒業後、81~83年のニューヨーク大学大学院留学中に、アート・ブレイキー、ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟などのミュージシャンをはじめ、主要なジャズ関係者と親交を深める。帰国後、整形外科医として働くかたわら、音楽(とくにジャズ)を中心にした評論、翻訳、インタヴュー、イヴェント・プロデュースを開始。レコード・プロデューサーとしても数多くの作品を制作。著書は『TALKIN’ジャズ×文学』(平野啓一郎との共著、平凡社)、『証言で綴る日本のジャズ』、『同 2』(駒草出版)、『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと』(河出書房新社)、『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)など多数。2016年にはマイルス・ミュージックにオマージュしたバンド、Selim Slive Elementzを結成。2017年8月にデビュー作を発表した。

1 2 3 4