投稿日 : 2019.08.22 更新日 : 2021.09.03

【証言で綴る日本のジャズ】大隅寿男| “陸上部のヒーロー” がアート・ブレイキーでジャズに開眼

取材・文/小川隆夫 撮影/平野 明

大隅寿男 インタビュー

大学の軽音楽部でドラムスを担当

——のちに音楽のアルバイトを始めますけど、その前に普通のアルバイトはしなかったんですか?

しなかったですね。そんな余裕もなかったけれど、食べることはできましたから。姉たちもいたし、生活に困ることはなかったです。お金がなかったんで、大学に行きながら、ジャズ喫茶に行って、コーヒーを飲んで、レコードを聴くなんてことはなかなかできなかったですけど。

——どんなジャズ喫茶に行ってました?

まず「木馬」です。「木馬」の裏側にあった「ヴィレッジ・ゲイト」、タモリがアルバイトしてたところです。それから「ビザール」。その前には「DIG」にも行ってました。

——もっぱら新宿ですか?

新宿です。渋谷は行ったことがなかったです。中央線で、大学がお茶の水なんで、新宿です。

——大学では、将来的になりたいものとか、あったんですか?

一流企業に就職して(笑)。義兄が3人ともそういうひとたちだったので、アバウトですけど、軽い気持ちでそう思っていました。

——明治大学の政経(政治経済)学部に入った理由は?  

受かったところに入ったんです。2浪なんです。恥ずかしいけれど、高校時代はほんとに勉強ができなかった。「大学に行く」といったら、先生に「ちょっと厳しいぞ」といわれたぐらいですから(笑)。

——浪人中はもちろん勉強して。  

親にお金を出してもらっているから、それはしました。1年目がことごとく駄目だったです。で、2年目はどこでも受かったところに入る、そういう約束で。早稲田も近いんで受けましたけど、駄目でした(笑)。

——早稲田に受かっていたら、ジャズ研に入っていたかもしれませんね。  

そうすると、チンさん(鈴木良雄)(b)とかに会ってたんでしょうね。明治大学に入って、春に学園祭があったんです。そこでジャズのバンドがやってたんです。「いいな、こんなだったら一緒にやりたいな」と思って。学園祭だから勧誘がある。 「ぼく、入りたいです」「楽器、なにやるの?」「なんにもできない」(笑)。メロディ楽器がやりたかったんです。でも、それは無理だとわかってました。楽器は持っていないし、アート・ブレイキーのこともあったし、ドラムスは学校に置いてある。安易な考えで、それがいいなと思い、「ドラムスをやらせてください」。

入ったのは軽音楽クラブのメランコリー・キャッツというバンドです。クラブの先輩には宇崎竜童(注5)さんもいました。彼がやっていたのはディキシーランド・ジャズのバンドで、トランペットを吹いていました。

(注5)宇崎竜童(歌手、作曲家、俳優 1946年~)70年代中期からダウン・タウン・ブギウギ・バンド、80年代中期から竜童組、90年代中期から宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之を率い、バンド活動の合間にソロ活動も。妻の阿木燿子と「作詞阿木・作曲宇崎」で山口百恵などに多数のヒット曲も提供。

——最初は叩けないでしょ?  

なんにも叩けません。一級上にいたドラムスの風見さんという方に少し習いました。

——じゃあ、見よう見まねで。

まったくそうです。プロになる気はないですから。それで、そのころは学校の授業より、部活の練習に熱心で。なんかジャズに浸って、得意になっている感じですかね。ジャズ喫茶に行って、たばこをくゆらせながら、「イエーイ」なんて(笑)。いま思うと、恥ずかしいですけど。純粋というのかな? 女性のことなんか考える暇もないくらい、ほんとに心酔していました。

——だって、もてたでしょう。  

よくいわれるんですけど、それがなかったんです。

——「もてたいからバンドをやる」ひとが、よくいましたけど

あ、それはまったくなかったです。硬派だったんです。あるときから変わっちゃいましたけど(笑)。学生時代は硬派でしたね。

——大学のバンドではどんな活動を?  

あのころは六大学のバンドで演奏旅行があったんです。「コカ・コーラ・バンド合戦」といって、春休みと夏休みに北海道から九州まで全国ツアーをしてました。面白かったですね。そのころからバンドに目覚めたのかな? でも先輩がいたから、4年になるまでレギュラーにはなれなかったんです。ボーヤ(バンドボーイ)と司会をやらされてました。ツアーとコンサートを仕切るブーローカーさんていうんですか? 怪しげなひとがいたんですよ。

——六大学のバンドが一緒にツアーをする。  

明治がメランコリー・キャッツ、東大がスウィング・バンド、慶應がタンゴ、早稲田がディキシーランド、今井って知ってます?

——トロンボーンの今井尚(たかし)さん?  

そう、彼がスターだったんです。立教がハワイアン、法政がウエスタン。このバンドで全国をツアーするんです。これ、個人的にではなくて、部でギャラがもらえるんです。学校との話とかはどうなってるんですかね? いつもそのブローカーさんが呼んでくれるんだけど、そのひとが何者かもぼくらは知らない。ただ取り仕切ってて、全国の会館とかをそのひとが知っている。不思議でしたよ。

——何か所くらい回るんですか?

15、6か所回りました。毎日電車で移動です。

——人数が多いでしょ。

6、70人で移動するんです。それを、そのひとがひとりで仕切るんです。それで、どこに行っても長蛇の列。いまみたいに J-POPなんかない時代でしょ。歌謡曲か演歌かポップスの時代ですから、ぼくらの演奏にもひとが集まって。

——どういう会場で?  

ホールです。だから、学生のときのほうがすごいところでやってたって(笑)、みんなとよく笑うんですけど。まあ、そんなことを大学時代の4年間はやっていたんです。

ジョージ大塚に弟子入り?

——でもプロになる気はなかった。

だって、自分でわかるから。なにも習っていないし。大学時代の後半、ちょっとお金があるときに「タロー」が多かったですけど、ライヴを聴きに、ときどき行ってたんです。ジョージ大塚(ds)さんが『ページ・ワン』(タクト)(注6)を出したころですよ。メンバーが市川秀男(p)さんと寺川正興(b)さん。このひとたち、ちょっと日本人離れしていると思ったんです。ま、そういうひとはほかにもたくさんいらっしゃるけど。

(注6)『ジョージ大塚トリオ/ページ・ワン』メンバー=ジョージ大塚(ds) 市川秀男(p) 寺川正興(b) 67年10月14日 東京で録音  

外人っぽいのがいいとはいいません。この歳になると、日本人ぽいほうがむしろ好きかもしれません。ちゃんとしてて、日本人ぽい味を出すのは大事なことかもしれません。でも当時は、「ジョージ大塚、これはバタ臭い」「ロイ・ヘインズ(ds)に似てるな」「あれ、このひと、トニー・ウィリアムス(ds)にも似ている」とか。

それで「このひとに習いたい」と思って、「ドラムス、教えてください」といったんです。そうしたら、「オウ、いいよ。じゃあ教えてやるから、ここに来い」って住所を書いてくれて。それが、目黒の大野雄二(p)さんのうちなんです。あとでわかったんですけど、雄二さんの家が広いから、そこをスタジオにして、レッスンしてたんです。

で、「わかりました、行きます」といって。大きな屋敷だったんですけど、行ったら、大野さんが出てきて、「誰?」「大塚さんに来るようにいわれたんですけど」「ああ、ジージョ(大塚のニックネーム)、今日は来ないよ」(笑)。「ちょっと見といてやってくれっていわれたから、上がれよ」。だから、最初はドラムスを雄二さんに習ったんです(笑)。滅茶苦茶でしょ。

——でも、話は通ってたんですね。

通ってたんです。「ジージョはここで教えてるけど、今度、引き払ってもらって、ヤマハに行くみたいだから、来週からはヤマハに来いって」。あとで大野雄二トリオでお世話になるんですけど、これが雄二さんとの最初の繋がり。

それで次の週にヤマハに行ったら、ジョージさんがいない。初心者は弟子みたいなひとが教えている。ジョージさんに習いたかったのに、そのひとたちに「1、2、3、4、はい」なんていわれても、ねえ。だから1日で辞めちゃった。でもジョージさんはそれを覚えていて、1回も教わったことがないのに(笑)、「こいつ、オレの弟子だよ」って、いまでもいってくれるんです。

——レコードをコピーしたとかはありますか?  

少しはしました。アート・ブレイキー、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)、ロイ・ヘインズ、エルヴィン・ジョーンズ……。そういうひとたちはみんな聴きました。聴くたびに好きになります。「どれが」というんじゃなくて、こっちを聴くと「これいいな」。

——コピーをする気はなかった?  

ぼくは譜面が苦手なので、コピーができない。聴いて、「あ、レガート(連続するふたつの音を途切れさせずに続けて演奏すること)ってこうやるんだな」。どこかでジョージさんに聞いたって、「そんなの好きにやればいいんだよ」ですからね。レコードを聴きながら、「ああ、こういうイメージだな」みたいな努力は必死でしました。

——じゃあ、誰にも習わずに。  

そうなんです。それが恥ずかしいところでもあり、ちょっとよかったかなというところでもあるんです。自分の形がすぐにわかっちゃうから。「あ、これ大隅だな」っていうのは、そういうところですかね。

もう1回やり直しがきくなら、教育を受けたいですね。どんなものができるかはわかりません。知りたいことはいろいろあります。いまはそういうことに興味があって、毎日が楽しいですよ。なにも知らないから、わかってくると、「あ、そうなんだ」。自分も多少できるようになると、「それやってみようかな」と思うでしょ。

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